2006年05月31日

ο μικροs πριγκιπαs

 知っているものを読むのは学習にはよいのではと思いますので、『星の王子様』のギリシャ語訳の一部を読んでみました。訳は、ΜΕΛΙΝΑ ΚΑΡΑΚΩΣΤΑ です。
アントワーヌ・ド サン=テグジュペリ のギリシャ語表記は、Αντουαν ντε Σαιντ-Εξυπερυ です。

 読んだ部分は、第二十章です。

Καποτε ομωs ο μικροs πριγκιπαs, αφου περπατησε πολυ μεσα απ' την αμμο, τα βραχια και τα χιονια, ανακαλυψε ενα δρομο. Κι ολοι οι δρομοι οδηγουν στουs ανθρωπουs.
-- Καλημερα, ειπε.
Ηταν εναs ανθισμενοs κηποs με τριανταφυλλα.
-- Καλημερα, ειπαν τα τριανταφθλλα.
Ο μικροs πριγκπαs τα κοιταξε. Εμοιαζαν ολα με το λουλουδι του.
-- Τι εισαστε; τα ρωτησε καταπληκτοs.
-- Ειμαστε τριανταφυλλα, ειπαν τα τριανταφυλλα.
-- Α, ειπε ο μικροs πριγκιπαs…


 このギリシャ語から訳してみました。

 王子様は、岩と雪ばかりの砂漠をずいぶんと歩いたあと、一本の道を見つけました。すべての道と言うものは、人間のところへと導くものです。
 「こんにちわ」と王子は言いました。
そこは、バラの花が満開の庭でした。
 「こんにちわ」バラの花たちが言いました。
王子は花たちを見つめました。どの花も王子の花に似ていました。
「あなたたちは、何なの?」王子は驚いて尋ねました。
「わたしたちはバラです。」バラたちは言いました。
「あっ」と王子は言って…


 さて、興味深いのは、バラと言う言葉です。τριανταφυλλο が、バラを示す現代ギリシャ語です。この語は、τριαντα と、φυλλο の二つからなっている語です。τριαντα は、30です。これは問題ないかと。けれど、φυλλο は、「葉」と覚えていましたので、何か変に感じました。でも、ギリシャ語では、「花びら」も、φυλλο なのです。30の花びらでしたら、よく分かります。
 でも、「葉」と「花びら」が同じ語というのは、どういうものか知ら、と思ってしまいます。でも、花びらと葉は、植物学上は、同じ組織で出来ているので、変わらないとのことなのです。
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2006年05月30日

Πετροs Γαιτονοs

 iTunesのMusic store Greek を覗いてみましたら、Petros Gaitanos と言う人の『Aima kai Ydor』と言うアルバムがありました。各曲20秒づつの試聴が出来ますから、聞いてみました。音楽を背景に朗読と言うもののようです。朗読を聞き取れるのならいいのですが…
 Aima Kai Ydor は、Αιμα και Υδρο (エマ キ イドラ)でしょう。「血と水」。副題に、Poreia Sto Theio Pathos とあります。Πορεια Στο Θειο Παθοs でしょうか。「受難の道」?
 Petros Gaitanos でweb検索をして、ページを見つけました。このアルバムについては、記載がないのですが。名前のギリシャ語表記は、Πετροs Γαιτονοs です。
 iTunesで、でも、ギリシャ店で試聴をどうぞ

Πετροs Γαιτονοs
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2006年05月28日

うさぎとかめ

 ギリシャで生活していて、一番驚いたのは亀です。亀が山の上にいましたから。アテネ大学の裏の林を散歩していて、下草の茂みを掻き分けて出て来た亀を見たときには、驚きました。水の全くない林の中に亀を見たのですから。と言うのは、私が日本から来たからで、亀は水の中の生き物と言う前提を持っているからです。ギリシャでは、亀は山の中の生き物なのでした。その亀は、暫く歩いたあと、草を食べ始めました。これも驚きです。日本では、亀の食べ物は、水中の小魚か虫ですから。
 さて、沓掛訳『ホメーロスの諸神讃歌』中の「ヘルメース讃歌」を読んでいると、
「この亀に出くわしたのは庭先の戸口のあたりで、
亀公は家の前でのんきに歩きまわっては、
豊かに茂った草を食べていた。」
というのに、出会いました。もちろん、山にいる陸亀です。
 イソップ寓話の亀も勿論、陸亀なのでしょう。
 中務『イソップ寓話集』には、たった二文の短い叙述で収めてあります。「亀と兎が足の速さのことで言い争い…」と。
 118Μυθοι では、少々長いお話しになっています。冒頭は、兎が、草を食べている亀を見つける、と言う文です。ちょっと、ヘルメース讃歌のようです。
 Στην ακρη του καταπρασινου χωραφιου εναs λαγοs βρηκε μια χελωνα που ετρωγε αργα αργα το τρυφερο χορταρι που ηταν γυρω τηs.

(若緑色の畑の端で、一羽の兎が一匹の亀を見つけました。亀は、周りにある柔らかい草を、ゆっくりゆっくり食べているところでした。)

 思えば、兎と亀が、走り比べをすると言うのも、陸の兎と水中の亀では変な話しでした。亀も陸の生き物だからの話しなのでした。
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やすり

 イソップ寓話の「ネコとヤスリ」では、ヤスリに、λιμα が使ってありました。ヤスリには、他に、ρινη と言う語がありました。(辞書を繰ってて、他にもあったような気も)
 ところで、機械翻訳に日本語「ヤスリ」と入れて、変換させますと、「αρχειο」と出ます。これは、「文書」です。このような結果になるのは、日本語「ヤスリ」→英語「file」→ギリシャ語「αρχειο」になるからではないかと思います。
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2006年05月26日

曜日

 先日の記事に、Δευτερα (月曜日) を書いたので、一週間の曜日を並べておこうかと思います。

Κυριακη (日曜日)
Δευτερα (月曜日)
Τριτη (火曜日)
Τεταρτη (水曜日)
Πεμππτη (木曜日)
Παρασκευη (金曜日)
Σαββτο (土曜日)


 Κυριακη は、κυριοs の日です。主人でなくて、主キリストです。復活の日ということです。復活祭は日曜日にあります。オーソドックスの世界では、一年を復活祭から第何週目というふうに数えて、示します。
 Δευτερα は、δευτεροs です。二番目のということで、復活から二日目ということです。
 Τριτη は、τριτοs 、同様に、三日目です。
 Τεταρτη は、τεταρτοs、同様に、四日目です。
 Πεμππτη は、πεμτοs、同様に、五日目です。
 Παρασκευη は、準備の日です。復活祭の準備の日ということです。
 Σαββτο は、安息日です。これは、旧約聖書から引き継がれたもの。

 一週間は、εβδομαδα です。
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2006年05月23日

ε

Ε,ε

文字の名前は、「エプシロン」。
読み方は、エ。母音。
二重母音は、ει (イ)、ευ。
ευ は、(エフ)のときと、(エブ)のときとがあります。
Δευτερα (デフテーラ)「月曜日」、次の音に、κ,π,τ,χ,φ,θ,σ,ξ,ψがくるとき。
Ευρωπη(エブローピィ)「ヨーロッパ」、次の音に、β,γ,δ,ζ,λ.μ,ν,ρがくるとき。

Ελα,
Εγω ειμαι εδω.
Εκανα εμετο για ενα ελικα του ειδωλου.
Το ειδωλο εννοει τον εθνο.
Τα ερωτηματα του εθνου εκθετουν.
Οι εγκληματιεs εχουν εμποδισει το εμποριο.
Αλλα,
Η εστια ενεργει για το ευτυχημα,
εχει την ελπιδα.
Θα επιζησουμε.
Θα ερθει κι η εποχη τηs ειρηνηs,
Στο εδαφοs που οι ελιεs εξεγειρονται.
Εκει, στην εισοδοs του
θα εξελιχθει και το ελεοs.


(アクセント記号は使用していません、語尾のシグマは英文字Sを使用しています)






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2006年05月22日

猫とやすり Η γατα και η λιμα

 118Μυθοι には、「猫とやすり Η γατα και η λιμα」という話が取られています。中務哲郎『イソップ寓話集』では、第一部・アウクスブルク校訂本に、「鼬と鑢」として収められています。流布しているイソップ物語では、「ヘビとヤスリ」となっているものもあるようです。これは、ラフォンテーヌが、ヘビに替えたものだそうです。
 118Μυθοι で、何故ネコになったのかは知りません。けれども、このお話を、前もっては知らずに読み始めたときには、ネコの舌がザラザラな理由の話かと、推測しながら読んだものです。
 お話は、ネコ(イタチ)が、鍛冶屋の仕事小屋に入り込んで、食べるものがないものだから、ヤスリを舐めてみると、血の味がしたので、それが自分の血だとは気も付かず舐め続けて、最後には、舌がなくなったというものです。
 『寓話集』では、争いを好んで我が身を傷つける者という教訓になっています。118Μυθοι では、利益を得ようとして注意をしないと、害を受けるという教訓です。

 これを読んで、面白かったのは、λιμα (女性名詞)と言う語です。一つには「ヤスリ」ですが、また一つには、「空腹」と言う語なのです。アクセント位置も、共に、ι にあります。けれども、全く別の語です。このお話を読むと、その「ヤスリ」と「空腹」が重ね合わされているように思われました。
 川原拓雄辞書には、「ヤスリ」はイタリア語語源とあります。そうすると、古典原書では、λιμα ではないのかもしれません。

 では、その中の一行
Καλη ειναι κι αυτη. Κατι θα παρω κι απο το σιδερο.
(これはいいや、鉄から何か取れるようだ)

κι の使い方が、日本語的理解からは、随分遠いようです。
Καλη ειναι κι αυτη.
では、主語が文末に来る時に、使われるκι です。このような文はよくあります。
Κατι θα παρω κι απο το σιδερο.
では、副詞句απο το σιδερο が続くだけですけど…
それから、θα παρω は、未来というより、推測なのでしょうか。


web にあるイソップ童話集(日本語)
きょうのイソップ童話:福娘童話集

イタチは、現代ギリシャ語では、νυφιτσα (ι にアクセント) 女性名詞


追記(06,09,29)
中務『イソップ』(岩波文庫)には、「蝮と鑢」と言う話もあります。アウクスブルク校訂本です。
上記のラフォンテーヌの話は、こちらからなのでしょう。
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2006年05月19日

夕張メロン πεπονι τηs περιοχηs Γιουμπαρι

 日本の記事がありましたので読んでみました。
5月18日付けです。

 日本の実業家、スズキカジオ氏は、恭しく、夕張産の「王様メロン」を見せています。それは、競りで、80万円、5,600ユーロの価格記録で手に入れられたものです。火山灰の豊かな土地で栽培され、温水で水分を与えられ、ビニールテントで気候現象から守られた、この特別な果物は、網目と甘さに特徴があります。豪華な化粧箱で包装されて、大切な友人や上司への贈り物ようにと、提供されます。ごく僅かの「完品」が競りに出されます。残りもどれも60ユーロくらいの価格です。

元の記事のURL は、
http://sup.kathimerini.gr/xtra/files/Fotogr/180506/fotograf2.htm
でも、残っているかどうかは分かりません。


posted by kyotakaba at 19:00| Comment(0) | 新聞記事を読んでみる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月09日

文中から副詞を見つける 4

様態を示す副詞を並べてみます。

καλα (上手く)
ωραια (すばらしく)
απολυτωs (完全に)
ασφαλωs (安全に)
αρκετα (十分に)

καλωs (上手に)
ακριβωs (正確に)
εντελωs (完璧に)

ευτυχωs (幸運に)

ευχαριστωs (喜んで)

κακα (拙く)
απαισα (運悪く)
ματαια (無為に)

ξαφνικα (突然に)
συνεχωs (続けて)

καπωs (どうにか)
αλλιωs (別に)
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2006年05月06日

περνω στο φοντο

 娘神の名前を間違えて書いていました。教養のなさの故です。訂正しておきました。
 さて、解説には、女神の説明があります。それを、自分の頭に入りやすいように整理してみます。

 ペルセフォネーは、娘神(コレー)と呼ばれる方が多い様です。デーメーテールと娘神と言うように。それは、二つの神があると考えられているのではなく、一つの神だと考えられているからの様です。娘神(ペルセフォネー)は、デーメーテールから独立した別の神ではないと言うことです。なので、名称で呼ばないのか知ら。この神は、大地女神と穀物女神が重なった性格を持っています。その二つの面を分ち持っていると言うことの様です。一方、ペルセフォネーと言う名称は、先住民族から伝わった冥府の神の名前でもあります。女神の一面の穀物女神が、この冥府の神と結びついた、と説明されています。

 ところで、デーメーテール(Δημητηρ)と言う名称ですけれど、これは音が変化しているのだそうです。もとは、Γη(大地) と、μητερα(母)と言う語から成っていると考えられているそうです。 (現代語で書きました)
 では、ペルセフォネー(Περσεφονη)は、どうでしょう。娘神と言うときのΚορη は、そのまま「娘」と言う語です。κοριτσι は、「女の子」。
 ペルセフォネーについては、別に説明はないので、自分で想像します。
 Περσεφονη は、περνω(通る)と言う動詞に、φωνη(声)でしょうか。でも、φοντο(奥)と言う語が、現代語にあります。「奥底を通る」という意味でしたら、この女神に合います。
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2006年05月05日

「デーメーテール讃歌」

 このごろ、『ホメーロスの諸神讃歌』沓掛良彦(ちくま学芸文庫)を読んでいます。遅読です。冒頭に採られているのは、「デーメーテール讃歌」です。でも、この季節には合っているのかな、と思いました。春が来て、初夏かもしれません、花が咲き盛る季節です。古代ギリシャの神話と、キリスト教の結びつきは、私は知りませんけれども、復活祭をも連想させられます。
 讃歌は、デーメテール女神の縁起を語るものです。デーメテール女神は、単独で歌われることはなく、娘神のペルセフォネーと一組で歌われるのだそうです。
 その縁起は次のようなものです。
 花が咲き盛る野に遊びに出たペルセフォネーが、不明になります。母神デーメーテールは、松明を手に九日も探します。十日目に、ゼウスの計らいで、ハーデスが拉致したことが、知れます。憤った女神は、オリュムポスを去り、人間の町、エレウシースに赴きます。その地では、女神は海賊に攫われ、流浪の身になった老婆に身をやつしています。その地の王ケレオスの四人の娘に導かれて、館に入った女神は、黙したままです。それを侍女イアムベーが笑わせます。女神は、ケレオスの息子の育児を託されますが、夜々、不死になる秘術を施します。それは、赤ん坊を火の中に埋めるというものです。子があまりに目覚ましく育つのを訝った母、メタネイラは、それを覗き見てしまいます。秘術は失敗し、女神は、姿を明かします。そして、神殿を建てさせ、その中に籠ってしまいます。デーメーテールは、豊穣の神です。その女神が籠ってしまったのでは、作物は実らなくなってしまいます。人間も飢餓に苦しみますが、オリュムポスの神々も、供物がなくなるので、困窮します。ついに、ゼウスは、ハーデスに、ペルセフォネーを母神のもとへ返す様に命じます。ハーデスは、ゼウスの命に従いますが、奸計を働かせます。冥府の食物、柘榴をペルセフォネーの口へ入れるのです。地上の母神のもとへ帰ることが出来た娘神ですが、柘榴を口にしたために、冥府を完全に離れることは出来なくなっていました。一年の三分の一を冥府で、ハーデスと過ごさなくてはなりません。三分の二は、母神と共に過ごせるのですが。以上が、縁起です。
 『諸神讃歌』は、ホーメロスの作ではないとされています。けれども、この『デーメテール讃歌』は、素晴らしいものではないでしょうか。花野の光景が、冒頭に、詩人の言葉、そして、末尾に、ペルセフォネーの言葉で、歌われます。その部分だけでも、美しい詩だと思います。

やわらかな草生うる牧の原で花を摘んでいた。
摘む花は薔薇、クロッカス、美しく咲くすみれ、
さてまたあやめにヒヤシンス、それに水仙。


わたしたちは遊びたわむれ、手をのべて美しい花を摘んでいました。
摘む花はとりどりで、やさしいクロッカスにあやめ、そしてヒヤシンス、
また薔薇の蕾みに、目をもあざむく百合の花、
それに水仙、この水仙は広い大地からクロッカスのように生えておりました。

沓掛先生の訳も素晴らしいです。多田智満子先生の『イーリアス』の部分訳を読んだことがありますが、それは、とても素晴らしいものです。それに劣らないか知ら。想像を富ませてくれる詩です。
 この季節のギリシャは、花が満ちています。生命に溢れ、神々に祝福された地、と言う感じがします。そして、夏が来ると、すべて枯れ果て、ハーデスの地、と言う風になります。





「デーメテール」でブログ検索して見つけたブログです。
南の島の・・悠・友・遊

「デメテル神殿」の記事:地球散歩、「冬」’07年2月21日
ヒモナス

posted by kyotakaba at 17:20| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月03日

『ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」』

 『その男、ゾルバ』は、もう絶版で入手は出来ない様です。図書館ですね。ところで、ギリシャの現代文学作品は、どれくらい翻訳されているのか知ら。Webcat Plus で、『現代ギリシャの文学作品』で検索してみました。根気よく探せばいいのでしょうけれど、ちょっとみただけです。
 八木橋正雄 氏の私家本『現代ギリシャ文学選集』が、あるくらいでした…、国会図書館と、鶴見大学図書館に所蔵されている様です。国会図書館では、電子複写となっています。(コピー代が必要になるのか知ら) 八木橋正雄 氏には、やはり、私家本で、『現代日希小辞典』もあります。これには、バシリオス コラキアニティス の名前も併記してあります。カスタニョティス出版の『現代日希辞書』のヴァシリス氏と、同一だとは思います。
 それから、『ぐるぐるぐる―′Εχω Κ´εφι』宮田薫夫 新風舎 1999年 と言う本がありました。でも、これはどうものか?アマゾンにもありますけれど…
on Amazon

 それから、私が知っている現代ギリシャの文学作品は、『ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」』です。作者のアポストロス ドキアディスは、ギリシャ系の人です。原書は、英語だったか、と。『博士の愛した数式 』の読者にはお勧め??
on Amazon

Webcat Plus

Apostolos Doxiadis 氏のwebページ
posted by kyotakaba at 17:23| Comment(0) | ギリシャ関連書籍など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゾルバ

 World Language.com というwebページを見つけました。
こちら、トップページ
こちらが、greek のページ
 ここで、greek のページを見てみました。サンプルに、カザンザキスの『その男、ゾルバ』の一節が掲載されていました。それを、自分で訳してみました。(文体や含味に気を払った翻訳でなく、意味を取るための対訳です)
「 彼の魂は、衷心から、クレタを受け入れた。彼は、クレタが、あたかも生きて温かみがあり、だから、声を上げて泣く口と、涙を流す目を持ったものの様に愛している。クレタは、石と土、また、樹の根から出来たものではなく、寧ろ、幾千の幾千の父と母から生まれたものだと言うかのごとくに。その幾千の父母は、彼らの時代に死んだのではない。今なお、生きていて、毎週の日曜日に教会に集まっている。その度に、彼らは、烈火の如く怒っている。それから、墓の中から、一枚の広々とした旗を広げる。その旗は、山々を取り包んでしまう。その旗の上では、いつも、腰を屈めた死ぬことのない母たちが、漆黒や薄墨の、あるいは、純白の髪で、滅びることのない三つの言葉を刺繍していた。その言葉は、「自由、さもなくば、死」だ。」

「その旗の上では、いつも、」のところは、χρονια が使ってあって、この副詞をなんて訳したらいいのかは分かりません。それで、「いつも」にしておきました。

 やっぱり、きれいな文章ですね。





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2006年05月02日

蝿 Η μυγα

 思いついたのですけど、「蝿」の台詞を、完了時制、アオリスト時制、パラティコス時制、現在時制、未来時制の順に並べてみようかと。一人称の単数ですし。

'Εχω φαει, ηπια, εκανα και το μπανιο μου. Δε με μελει που θα πεθανω.

「食べ終えたし、飲んだし、風呂に入っているところだし、死んでしまうだろうことは構わないや。」


それから、サファリのブックマークに入れていたのですが、昨日まで、すっかり忘れてました。
web に、ギリシャ語の動詞の変化表があります。
これって、いつマークしたんだろう??
Modern Greek Verbs
posted by kyotakaba at 08:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月01日

蝿 Η μυγα

 中務哲郎『イソップ寓話集』には、「蝿」の題を持つ話が二つあります。双方とも、『アウクスブルグ校訂本』からのものです。
 一つ目は、物置の中のこぼれた蜜を舐めに来た蝿が、蜜で足が固まってしまうと言うもので、「情けやな、束の間の快楽のために身を滅ぼすとは」との台詞を言います。
 二つ目は、肉の鍋にはまった蝿が、溺れる間際に台詞を言うと言うものです。「俺としては、食ったし飲んだし風呂にも入った。後は死んでもかまわない。」
 118Μυθοι のものは、後の方に沿っています。

「 'Εφαγα, ηπια, εκαμα και το μπανιο μου. Δε με μελει που θα πεθανω.」
このような台詞です。

'Εφαγα は、「食べる:τρωω」のアオリスト形です。一人称単数。
ηπια は、「飲む:πινω」のアオリスト形です。
το μπανιο は、中性名詞、「浴室」です。後ろに、所有代名詞が付いています、μου「私の」です。
εκαμα は、κανω のアオリスト形。英語のdo のような語です。名詞をともなって、「〜する」と言う意味を作ります。
接続詞 και が、なぜ、あの位置にあるのかは、分かりません。
μελει は、非人称の動詞です。で、この動詞の主語(動作主体)はありません。
θα πεθανω は、「死ぬ:πεθαινω」の一回性の未来形です。

さて、μελει の意味は、「心配する、構う」と言うようなものです。けれども、「心配する」のは、この動詞の目的語になっている人称代名詞です。上の場合は、με(わたしを)がそうです。なので、私が、心配し(δεν:否定)ない、のです。
που は、「・・と言うこと」と言う接続詞。英語のthat のようです。
Δε με μελει που ・・ は、「・・と言うことを私は心配しない。」

で、この台詞は、「食べたし、飲んだし、風呂も入ったし、死んでしまうことは構わないや。」と訳せます。




以前に、「ギリシャ語、トイレ」で検索されている方がありました。家の中でトイレを指すときは、
μπανιο (浴室)と言います。便器はなんと言うのかしら、と、lavatory で辞書を引くと、αποχωρητηριο とありました。

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復活祭

 昨日のNHK『海外ネットワーク』で、ギリシャの復活祭の様子が紹介されていました。花火戦争です。本土ではなく島での行事です。島の名前を忘れてしまったので、web検索しましたら、NBS(長野放送)のニュースがありました。4月24日 08:05:08付です。キーオス島と書いてあります。谷を挟んだ、二つの教会が、花火を打ち合うと言う行事です。
 キーオス島に限らず、復活祭には、爆竹を鳴らします。それも、何処かに隠してあったりするので、怪我をする人もいます。私が滞在していたときにも、窓の直ぐ下で、爆音がして驚いたものです。その上、一日中、教会の鐘が鳴っていて、とても賑やかでした。
 復活祭の日には、教会の前に、山盛りのカーネーションが置いてあります。それを一輪とって入り、イコンに飾る様でした。教会の中には、人が充満していて、長く居れませんでした。
posted by kyotakaba at 09:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする