2006年12月24日

関口知宏さんの『関口知宏が行くギリシャ・トルコ鉄道の旅』

 関口知宏さんのNHK の番組、「関口知宏が行くギリシャ・トルコ鉄道の旅」が書籍化されていました。徳間書店から。DVDはまだかしら。

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『ΤΟ ΤΣΕΚΟΥΡΙ, ΤΟ ΚΟΤΟ ΚΑΙ ΤΟ ΧΡΥΣΑΝΘΕΜΟ』と『ΤΟ ΚΟΥΡΔΙΣΤΟ ΠΟΥΛΙ 』

 web のbooks shop を見ていましたら、十二単の女性の絵が目に留まりました。多分、日本の本だろうと思い、詳細を見ました。題名は、『ΤΟ ΤΣΕΚΟΥΡΙ, ΤΟ ΚΟΤΟ ΚΑΙ ΤΟ ΧΡΥΣΑΝΘΕΜΟ』。『斧、コト、菊』。作者は、ΓΙΟΚΟΜΙΖΟ Σ. とあります。ヨコミゾ S 、横溝正史でしょう。斧と琴と菊があるのは、『犬神家の一族』だったか知ら。
 紹介文の冒頭を読んでみます。「Μία επιστολή αποκαλύπτει στον διάσημο ντετέκτιβ Κιντάιτσι Κόσουκε ότι μία αιματηρή τραγωδία θα ξετυλιχτεί στη μικρή πόλη του Νάσου σε μία έπαυλη δίπλα στη λίμνη.」です。
「 有名な探偵、金田一耕助に、一通の手紙が、ナスの小さな町で、そこの湖のそばの別荘で、ある陰惨な悲劇が繰り広げられるだろうと告げた。」

 序でなので、村上春樹は、現在、諸外国でも広く読まれているそうなので、検索してみました。ΜΟΥΡΑΚΑΜΙ ΧΑΡΟΥΚΙ
 三冊見つかりました。『ΣΚΛΗΡΗ ΧΩΡΑ ΤΩΝ ΘΑΥΜΑΤΩΝ ΚΑΙ ΤΟ ΤΕΛΟΣ ΤΟΥ ΚΟΣΜΟΥ 』『ΤΟ ΚΥΝΗΓΙ ΤΟΥ ΑΓΡΙΟΠΡΟΒΑΤΟΥ』『ΤΟ ΚΟΥΡΔΙΣΤΟ ΠΟΥΛΙ 』。『ΤΟ ΚΟΥΡΔΙΣΤΟ ΠΟΥΛΙ 』が最近の出版のようです。『ねじ巻き鳥のクロニクル』でしょう。
 紹介文の冒頭は、「Η γάτα του Τόρου Οκάντα εξαφανίζεται κι αυτό αναστατώνει τη γυναίκα του, που γίνεται όλο και πιο απόμακρη. Ύστερα αρχίζει μια σειρά από μυστηριώδη τηλεφωνήματα. 」
「 オカダトオルの猫が失踪する。それは彼の妻を混乱させる。失踪は次第により遠くで起こるようになる。その後、謎めいた長距離電話が連続するようになる。」
 多く読まれるといいですね。



『犬神家』on greekbooks.gr
『ねじ巻き鳥』 on greekbooks.gr
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2006年12月22日

金子みすゞ「わたしと小鳥とすずと」 Μισουζου Κανεκο

  表現の練習に、金子みすゞの詩を一編訳してみようと思います。でも、ギリシャ語の詩をどう作るのかも知りません。その前に、日本語で、詩をどう組み立てるのかも知らないのですが…、俳句や和歌でしたら、とりあえず、五・七・五とかだけは知っていますが。実際に、言葉を見てみると、単語をそのまま移しても無意味になりそうですし。それに、現代ギリシャ語では、動詞を連体形の修飾語にするのは出来ないし。かと言って、詩想を捉えることも役が大きすぎます…
 ともかく、現代ギリシャ語にしてみましょう。選んだ詩は、「わたしと小鳥とすずと」です。
出典『金子みすゞ童謡全集』

わたしと小鳥とすずと 
        
    わたしが両手をひろげても
    お空はちっともとべないが、
    とべる小鳥はわたしのように、
    地べたをはやくは走れない。

    わたしがからだをゆすっても、
    きれいな音はでないけど、
    あの鳴るすずはわたしのように
    たくさんなうたは知らないよ。

    すずと、小鳥と、それからわたし、
    みんなちがって、みんないい。 

 Now, I try to translate a poem of Misuzu Kaneko. She is poet in early Showa period before World War Two. She wrote particularly for children. Her humanity has been respected by many Japanese children now, although she had been forgotten while the war time. It is difficult for me to do it, but, I'm going.

I and a Little bird and a bell

I spread my arms,
So I can't fly, but
that flying bird can't run on the earth.
So I can run fast.

I swing my body,
So you can't listen me, but
that ringing bell can't remember songs.
So I can tell you many songs.

A bell and a little bird and me,
each is each,
every are very.


 では、ギリシャ語で、

Το πουλί, το κουδούνι, είμαι το κορίτσι και εγώ


Ακόμη κι αν προσπαθώ να απλώνω τα χέρια μου,
δεν μπορώ να πετάω στον ουρανό ψηλά,
αλλά,
Το πουλί που μένει στο ύψος,
δεν μπορεί να τρέχει στη γη γρήγορα,
μπορώ και εγώ.

Ακόμη κι αν προσπαθώ να κουνώ το σώμα μου,
δεν μπορώ να αντηχώ όμοροφα,
αλλά,
Το κουδούνι που μένει στην ηχώ,
δεν μπορεί να μαθαίνει τα τραγούδια πολύ,
μπορώ και εγώ.

Το κουδούνι, το πουλί, και εγώ,
όλα ιδαίτερα,
όλα καλά !





金子みすゞの詩は、金子みすゞ著作権保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作権保存会」の許可を得てください。
〈連絡先〉〒 171-0033 東京都豊島区高田3-3-22 JULA 出版局内
 TEL.03-3200-7795  FAX. 03-32007728



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2006年12月12日

Τα γάργαρα νερά ρυπαίνονται και χάνονται

 きれいな清流の写真が掲載された記事が、カセメリニにありました。12月10日付です。けれども、水の問題に関するものでした。それを読んでみます。
 見出しは、「Τα γάργαρα νερά ρυπαίνονται και χάνονται」です。「汚染され失われる清流」。
γάργαρος (形容詞)は、水がさらさら流れている様子、νερό (中性名詞)は、水ですけど、ここでは小川でしょう。それで清流のことだと。
 ρυπαίνω は「汚染する」。χάνω は「失くす」。

 記事は、
「 Χιλιάδες μικρούς παραδείσους κρύβει η ελληνική φύση. Κρυστάλλινα ποτάμια σε καταπράσινες κοιλάδες ή φαράγγια, όπως αυτό του ποταμού Δημοσάρη στη Ν. Εύβοια. Πίσω, όμως, από την ειδυλλιακή εικόνα των γάργαρων νερών κρύβεται ο εφιάλτης της επόμενης μέρας. Η απελπιστική έλλειψη νερού και η υποβάθμιση της ποιότητάς του λόγω κατασπατάλησης και ρύπανσης.
 」
「ギリシャの自然は何千もの小さな楽園を隠しています。鮮やかな緑の谷や深い渓谷を抜ける透き通った河々、例えば、エヴィア島にあるディモサーリの川です。けれども、さらさらと流れる川の田園的な風景の背後には、将来の悪夢が潜んでいます。水の絶望的な不足と、浪費と汚染のための水質の劣化がそれです。」

 後半の文は、主格とそれを修飾する属格だけの文です。文としては、主格だけがあるのですから、〜だ、と確定しているのだと思います。

 「Χιλιάδες μικρούς παραδείσους」という言い方は、よく見かけます。実詞が属格になって、数詞の千を修飾しています。日本語の感覚では、χιλιάδες μικρές παράδεισοι ですけど。
παράδεισος は、男性名詞でも、女性名詞でもあります。数詞が女性形になっていたので、女性名詞と考えました。
 理由を示す接続詞 λόγω は、後ろに属格が続きます。
 このように、二つのの実詞があって、一方が属格のときには、他方を修飾する働きがあります。その修飾の内容は、「所有」「原因」「性質」「比較」「対象」があります。なので、単に英語の所有格と同じと思っていたのでは、読めない場合もあります。(英語の所有格も同じような働きかも)
また、次のような文、

Ακουγεται το σφυριγμα του ανεμου.

の場合は、ανεμοs は、σφυριγμα の主語であると考えます。ですので、風の所有する音というようには考えません。
風が鳴らす音が聞こえる。というふうに捉えます。訳は、風の音が聞こえる、ですけど。






ギリシャ語部分は、語尾シグマとアクセント母音は、文字コードで入力しています。
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2006年12月11日

放蕩息子と燕

 『放蕩息子と燕』と言うお話、アウクスブルグ校訂本から『アエソピカ』に採られたお話、中務『イソップ寓話』にあります。118Μυθοι にもあります。
 裕福な父親が、死に際して一人息子に、働いて財産を殖やすように諌めますが、息子は父の死後も働かず遊蕩して、財産をなくします。コートだけが残ります。冬のある春めいた日に、一羽の燕が来たのを見た息子は、もう春が来たものと思い、コートも売りますが、暖かだったのは一日だけで、寒さはすぐに戻り、凍えてしまう、と言う話です。
 これから、燕が来た所を見てみます。

  Μια ανοιξιάτικη μέρα είδε ένα χελιδόνι, που είχε έρθει πρόωρα από τις ζεστές χώρες.
-- Να το χελιδόνι ! φώναξε. Πάει ο χειμώνας. Σε λίγο θα 'χουμε καλοκαίρι
.

 最初の文章では、主語が省略してありいます。動詞 είδε は、アオリストで三人称の単数です。後ろの ένα χελιδόνι は、中性名詞なので、主格と対格が同形なので、区別がつきません。これも三人称単数なのですが、ここでは、目的語になっていると思います。その後の関係代名詞で繋がれる複文の主格です。
 燕が来ていたのは現在完了形で、冬が行ったのは現在形で、夏が来るは未来形で書かれています。

「ある春めいた日に、彼は一羽の燕を見ました。燕は暑い国から一番に来た所でした。
  「ほら、燕だ!」と叫びました。「冬は行ったんだ。もう少しで、夏が来るんだ。」






ギリシャ語部分は、語尾シグマ、アクセント記号は文字コードで入力しています。

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2006年12月09日

Ενα χελιδονι δεν φτιαχνει την ανοιξη.

 μια χελιδων εαρ ου ποιει.
「一羽の燕は春を作らず」と言うことわざ。柳沼重剛『名言集』(岩波文庫)では、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』に引用があると紹介されています。
 その部分は、
「Ετι δ' εν βιω τελειω. μια γαρ χελιδων εαρ ου ποιει, ουδε μια ημερα・ ουτω δε ουδε μακαριον και ευδαιμονα μια ημερα ουδ' ολιγος χρονος.」
英訳
「 But we must add 'in a complete life.' For one swallow does not make a summer, nor does one day; and so too one day, or a short time, does not make a man blessed and happy. 」

このwebページを参照:
mikros apoploys

 「三日天下」(King for a day) と同じような内容を、反対の言い方をして表したものか知ら。
軽々に安心してはいけない、ということのようです。
 まだ春には早いのに来てしまう燕がいる、と、自然を捉えている目は、冷徹にも感じますけれど。


 古典語でも何となく分かるのですが、やはり、単語も違うので、現代語に置き換えてみます。

 
 「ツバメ」 χελιδονι は、中性名詞ですが、現代語の語尾は違うので。
 それで、数詞も、女性形の μια ではなく中性形のの ενα に。(古典語と現代語は性が違うのかな)
 「春」は、εαρ は、カサレヴサなので、ανοιξη に。εαρ は中性、ανοιξη は女性名詞。
 ποιω も現代語ではないので、φτιαχνω で、作文してみます。

 Ενα χελιδονι δεν φτιαχνει την ανοιξη.


ギリシャ語部分、語尾シグマは文字コードで入力、アクセント記号は使用しませんでした。
古典語は、アクセント記号の他に気息記号など、記号が多いので。


『ギリシャ・ローマ名言集』(岩波文庫) 柳沼重剛
on Amazon

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2006年12月08日

Greek and English Proverbs

 「μια χελιδων εαρ ου ποιει」と言うことわざを、in.gr に入れて検索したら、
とても有用そうなwebページを見つけました。
『TRANSLATUM The Greek Translation Votal』と言うページです。
translatum.gr

 この左サイドバーのSERVICES のプルダウンメニューからGreek E - text を選んで、
一覧の中からΠανοs Καραγνιωργοs の『Αγγλικεs & Ελληνικεs Παροιμιεs』を選ぶと、
この本が少し見れるようです。
Greek and English Proverbs

posted by kyotakaba at 16:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月07日

実詞の属格

 実詞(名詞)の属格のことです。あるwebページに、属格は、英語の文法用語での所有格のことだ、と書いてあるのをみました。まったく間違いではないのですが、正確ではありませんので、備忘しておこうと思います。

 属格は、実詞の文中での役割(立場)を示す語です。
例文を使いながら、見て行こうと思います。

「少年は、犬を海に連れて行く。」

 この文を見てみましょう。この文は、四つの語が集まって出来ています。一つの動詞と、三つの実詞です。
 動詞は、「連れて行く」です。
 実詞は、「少年」「犬」「海」です。

 さて、三つの実詞「少年」「犬」「海」は、この文中の動詞「連れて行く」に対して、それぞれ違った役割を担っています。(違う立場にあります)
 「少年」は、動詞「連れて行く」が示す動作を行うものです。動作の主体。この役割にある実詞を、「主格」と言います。
 他の二つの実詞「犬」「海」は、動作を受けるものです。動作の客体。けれども、動作を受けることでは同じなのですが、その役割(立場)は違ったものです。
 「犬」は、少年に綱を付けられて引かれて行くのでしょうか。少年から、直接動作を受ける立場です。この場合、「犬」と言う語は、動作を受ける立場(役割)にあります。その実詞を「対格」と言います。
 「海」は、「犬」がそこへ連れて行かれる場所です。動作の結果を受ける立場(役割)です。動作の結果、「犬」は「海」に帰属することになります。(海という場所にいることになります。) この立場の実詞を「属格」と言います。
 英語で馴染んだ文法用語で言えば、直接目的語が「対格」で、間接目的語が「属格」です。
 さて、上の実詞を現代ギリシャ語にすると、
 少年:αγόρι (中性名詞)
 犬 :σκύλος (男性名詞)
 海 :θάλασσα (女性名詞)

 です、それぞれを、この文中の役割の形にすると、

 Το αγόρι (主格)
 τον σκύλο (対格)
 της θάλλασας (属格)

 です。ですので、これを文にすると、

 Το αγόρι παίρνει της θάλασσας τον σκύλο.

 です。けれども、これは原理的な使い方です。現代ギリシャ語では、あまり見ない使い方なのです。普段の現代ギリシャ語では、属格の部分を、前置詞+対格で代用しています。上の文も、普段では、

 Το αγόρι παίρνει τον σκύλο για την θάλασσα.

 です。


 このように、属格の動詞に対しての役割は、用いられることが少なくなったのですが、
一方、実詞同士の関係では、使っています。
 Ο σκύλος της θάλασσας
 のような場合です。「海の犬」と言うように、英語の所有格と似た役割です。

 このように、「属格」の役割は一つではありません。間接目的語として使うことも稀ですがあります。

 古典語では、与格があります。間接目的語は、この与格がその役割を担っています。現代ギリシャ語では、与格がなくなっています。それで、属格が代行しているのだと思います。なので、あまり使わないのか知ら。代名詞の弱形では、対格を直接目的語、属格を間接目的語に使います。




ギリシャ語部分は、語尾シグマとアクセント母音は文字コードで入力しています。
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2006年12月04日

冬と春

 冬になりました。人間には厳しい季節です。冬が終われば春です。暖かな春の到来は、それだけで喜びです。
 そのような冬と春をお話にしたものが、イソップ寓話にもあります。ベン・エドウィン・ペリー『アエソピカ』が底本の中務『イソップ寓話集』(岩波文庫)には、「アウクスブルク校訂本」の写本から採られたもの(校訂本にはなかったもの)として、所収されています。118Μυθοιには、「Ο χειμώωας και η άνοιξη」の題で所収。較べるとほぼ同じなので、そのまま現代語にしたものでしょう。
 厳しい冬が春に向かって、「君が来ると人間は浮かれて外へ出かけてしまい、洪水や雪の心配をしなくなる。ところが、私は人間に空を見上げることもさせず、家中へ否応なく閉じこもるようにさせる」、と威勢を張りますが、春は、「それだから人間はあなたが去ると喜ぶのです、人間はわたしの名前を聞くだけで嬉しくなるのです、実際、わたしの名前は美しいです。」と応じる話です。
 似た話の「北風と太陽」の方が、よく知られているのでしょう。
 文章は、「冬と春」の方が面白いです。春の野に出て花を摘むところは、「デーメーテール讃歌」を思わせます。その部分を読んでみます。

  Άλλος τρέχει στα λιβάδια και κόβει λουλούδια, παπαρούνες, μαργαρίτες, κρίνους, τριαντάφυλλα, κάνει στεφάνια και στολίζει μ' αυτά τα μαλλιά του.

「ある者は草原へと急いで行って花を摘みます。ヒナゲシ、ヒナギク、ユリ、バラと。花輪を作り、それで自分の髪を飾ります。」

 「デーメーテール讃歌」では、バラ、クロッカス、すみれ、アヤメ、ヒヤシンス、水仙でした。

λουλούδι (中性名詞):花
παπαρούνα (女性名詞):ひなげし
μαργαρίτα (女性名詞):ひなぎく
κρίνος (男性名詞):ゆり
τριαντάφυλλο (中性名詞):ばら

すみれ:βιολέτα (女性名詞)
あやめ:ίριδα (女性名詞)
ヒヤシンス:υάκινθος (男性名詞)
スイセン:νάκισσος (男性名詞)


 ギリシャ語部分は、語尾シグマとアクセント母音は文字コードで入力しています。





 Ben Edwin Perry の本。
『Aesopica: A Series of Texts Relating to Aesop or Ascribed to Him』
on Amazon

 邦訳のもの。
『シンドバードの起源』西村正身 訳
未知谷社 2001年4月刊
on Amazon

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2006年12月03日

Ι

Ι , ι

文字の名前は、「イヨータ」。
読み方は、イ。母音。
二重母音は、αι (エ)、ει(イ) 。


Στον Ιούλιο, στο ιατρείο,
η ιτιά ,που είναι ινώδης,
ικέτεψε τον ισχυό ιπποπόταμο
να την ικανοποιήσει.
Ο ιός ίσχυε.
Ο ιπποπόταμος τον ισοπέδωσει,
είναι ιλαρός,
και ίδρωσει και ιρίδιζε.
Ισώς,
είναι ο Ιησούς,
ο οποιός ισκιώνει τον ιερό Ιούνιο.
Αυτός ίσκιος είναι ίσιος
ίσαμε τον ισημερινή.




(語尾シグマ、アクセント母音は、文字コードで入力しています)




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2006年12月02日

Φανάρι και Βατικανό σε αδελφικό διάλογο

 11月30日付のカセメリニの記事です。ローマカトリックの教皇ベネディクス十六世がトルコを訪問していることの関連記事です。正教の国、ギリシャにとって、コンスタンチノープル(イスタンブール)にいる正教の総主教とカトリックの教皇の対話は、重大ニュースです。いまだに、両教会は、和解がなされていませんので。

 見出しは、「友好的対話のファナリとバチカン」です。記事は、
「 Με σκοπό τον διάλογο μεταξύ της Ορθόδοξης και της Ρωμαιοκαθολικής Εκκλησίας συναντήθηκαν, χθες το απόγευμα, στην Κωνσταντινούπολη ο Οικουμενικός Πατριάρχης Βαρθολομαίος Α' και ο Πάπας Βενέδικτος ΙΣΤ'. Οι δύο πνευματικοί ηγέτες συναντήθηκαν σε κλίμα χριστιανικής αδελφοσύνης στον ιερό ναό του Αγίου Γεωργίου, στο Φανάρι, όπου και χοροστάτησαν σε δοξολογία. Στη συνέχεια, οι Βαρθολομαίος Α' και Βενέδικτος ΙΣΤ'αποσύρθηκαν στην αίθουσα του θρόνου και στο πατριαρχικό γραφείο, όπου είχαν την πρώτη κατ' ιδίαν συνομιλία τους. 」

「 昨日午後、コンスタンチノーポリにて、オーソドックスとローマカソリック両教会の対話の目的で、全キリスト教会総主教・バルソロメオス一世とパパ・ベネディクス十六世が対面した。ファナリにあるアギウ・ゲオロギウの神聖な神殿にて、キリスト教的友愛の雰囲気で、二人の精神的指導者は会った。そこは、奉神祭を執り行うところだ。引き続き、バルソロメオス一世とベネディクス十六世は、総主教の書斎の法座のある部屋に引き下がり、彼らの初めての対話を持った。」


 数字は、アルファベットで表されます。アルファが1です。ですので、一世というところは、アルファになっています。十六世は、イヨータ(10)とシグマ(6)です。
『ギリシャの箱』を参照
数詞:ギリシャの箱

 「δοξολογια」は、辞書を引くと、glorification(英語)です。正教の用語が、確認出来ませんけれど、「奉神祭」かなと思いました。

 ファナリは、コンスタンチノープル(イスタンブール)のギリシャ人居住地区。



 ギリシャ語は、語尾シグマとアクセントの母音は、文字コードを使ってみました。
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