それぞれの言語は、独自の事象の捉え方を基台にしているので、他の言語に置き換えるときに、困難を感じることがよくあります。
「うつる」と言う日本語もそうかもしれません。「うつる」と言う日本語には、「移る」「写る」「映る」と言う漢字が当てられます。日本語を使っていても、「映る」と言う語の使い方には、戸惑うこともあります。私は、「鏡に姿が映る」という表現には、なぜか抵抗を感じます。「映る」は、スクリーンに投影される場合とか、「紅葉の赤が空に映えて」と言う場合には、自然に感じるのですが。
日本語の「うつる」の三つの面は、他の言語では、三つの別々の語になるのでしょう。
鏡に「映る」は、英語では、mirror と言う語が、「鏡」と言う名詞であると同時に、「映る」と言う動詞でもあります。現代ギリシャ語も似ています。καθρέφτης (鏡:名詞)καθρεφτίζω (映る:動詞) は、同じ語の派生でしょう。 (英語がギリシャ語に似ているのかしら)
イソップ寓話では、「うつる」を使っている話で、直ぐに思い浮かぶのは、「肉をくわえた犬」です。古典のものは短い話です。(中務『イソップ寓話集』) 118Μυθοι では、情景が書き加えられて長くなっています。その文章から、骨子だけを抜いてみます。
Ο σκύλος βρήκε ένα μεγάλο κομμάτι κρέας.
Το άρπαξε και πήγε στο δάσος που το διέσχιζε ένα ποταμάκια.
Όταν έφτασε εκεί, και καθώς περνούσε το γεφυράκι,είδε να καθρεφτίζεται μέσα στο νερό ένας άλλος σκύλος, που κι αυτός κρατούσε στο στόμα ένα κομμάτι κρέας.
Άπλωσε αμέσως το λαιμό του, άνοιξε το στόμα του και, χραπ ! … Αλλά την ίδια στιγμή έχασε και το κρέας που κρατούσε ανάμεσα στα δόντια του.犬は大きな一片の肉を見つけました。
それを盗んで森に行きました。そこでは、一本の小川が森を横切っていました。
そこに着いて、橋を渡ろうとしたときに、水の中に、別の犬が映っているのを見ました。その犬は、口に一片の肉をくわえていました。
彼の喉を拡げて、口を開いて、そして、あっ。…その瞬間、自分の牙の中にくわえていた肉をなくしてしまいました。
διέσχιζε は、διασχίζω が原型です。時制が変わると、αがε に変わります。
χραπ は、感嘆詞だと思います。
να καθρεφτίζεται は、να の接続法です。中動相ですが、受動態ではなく再帰動詞でしょう。けれども、エネストウタス(現在形)でなく、アオリスト(過去)を使ってあるのはなぜでしょう。恒常的なものではないと思うのですが。パラタティコス時制のように、時間の幅があるからでしょうか。
口を開ける前に、「のどを拡げる」と言う表現があります。声を出そうとしている様子の描写でしょう。面白い表現だと思いました。
posted by kyotakaba at 10:08|
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