2007年04月24日

Κ

Κ , κ

文字の名前は、「カッパ」。
読み方は、カ。子音。
カのときと、カッのときと(詰まる音)。
εικόνα (イコーナ) 。κέντρο (ケンドロ)は、k の音は短く詰まる。
重複子音のとき κκ 、一音に読む。
εκκλησία (エクリシーア)



Καθορίσει μιά κόρη
το κανάλι που είχα κηλίδωσει.
Και καθίσει ένα κουτί.
Τους κομματισατούς κάλυκες
καθρεφτίζει
το κάλυμμα του που κλείνει.
Το κουνά και τα κύματα.
Κενό είναι.
Τον κρυφό κάβουρα
καλώ.
Και θα κόψει την καρδιά μου.
Και καίω το κρίμα μου.



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2007年04月23日

Πάλεψε λες κι είχε ελπίδα.

 『石の葬式』の第十五章「いけにえ: Θυσία」には、幾つか繰返される言葉があります。
 「Είσαι καλό παιδί :いい子だ」も、そうですが。もっと意味深く使用されているのは、「Πάλεψε λες κι είχε ελπίδα. 」です。岩本正恵氏の訳は、「あいつ、勝ち目があるみたいに抵抗してさ」です。この掌編は、飼っていた牡牛に少女を殺された父と兄が、その牛を殺した後の会話で造られています。この文は、その牛の様子を息子が言ったものです。

 単語は、πάλευω (苦闘する:動詞単数三人称)+ λεώ(動詞単数ニ人称)+接続詞 κι +εχώ (持つ:動詞単数三人称)+ ελπίδα(希望:女性名詞対格)です。
 「 λες να - - 」は、it is possible : しそうだ/出来そうだ です。この文では、να が使われていませんけれど。この表現は、可能性が高い場合に使うのか、低い場合に使うのかは、よく分かりません。二人称になっているのは、非人称に近い慣用ではないでしょうか。
 接続詞 κι は、何でしょう?πάλευω とλεώ を繋いでいるのでしょうか。岩本氏の訳は、「希望を持つ」の部分を「闘う」の形容のように扱っています。文としては、「希望を持つ」が条件節のような副文とも決められない気もします。
「牛は希望がある筈と思っていた、そして、闘った。」が直接的な訳でしょう。

「散々手こずらせてくれたよ。きっと助かるって思ってたんだろうね。」と訳したら違うでしょうか。


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2007年04月22日

Η Dell δεν χρησιμεύει τα Vista

 4月21日付カセメリニweb紙面に「Η Dell δεν χρησιμεύει τα Vista」と言う見出しで、記事があったと思うのですけれど、写した記事の見出しは、「Τα Windows XP δεν 《πέθαναν》 για τη Dell」でした。web のトップページの見出しと、各記事ページでの見出しが異なっている場合もあるので。今日は、もう記事はなくなっていて確認出来ません。

 χρησιμεύω は、川原辞書では、「使われている」「役に立つ」と言う語義が与えられています。日本語の「使う」と言う語も、多様に使われますけれど、χρησιμεύω もその場に応じて意味を考えなければいけないのでしょうか。「バスで行ける」と言う場合にも使っていたと言う覚えがあるのですが、違うか知ら。
 私の記憶の見出しは、「デルはビスタを搭載しない。」という感じなのですが。記録している記事の見出しは、「XPは死なない、デルのためにも」でしょうか。

 ウインドウズの冠詞が複数形になっているのは、ウインドウが複数形だからですね。日本語の感覚だと、ウインドウズと言う名前の単数の製品ですけれど。中性なのは、παραθύρο が中性だからか知ら。


 私は、iMacをχρησιμεύω しているので、(こう使っていいのか?) 直接は関係ないのですが、今や、ウインドウズは廃れて、リナックスとオープンオフィスが、それに変わろうとしているのでしょうか。

open office
オープンオフィス


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2007年04月21日

Mekapses Yitonisa

 NHK FMラジオ放送の番組、「世界の快適音楽セレクション」(4月21日放送分)で、エストラーダスフェアーと言うバンドの「マカプセス・イトミサ」が紹介されました。
 番組内では、ギリシャのロックバンドと、紹介されていましたけれど、米国のバンドのようです。バンド・メンバーの音楽の素養は多様なようです。その中には、ギリシャ音楽も含むバルカン音楽もあるようです。紹介された「マカプセス・イトミサ」は、ギリシャ的(バルカン的)なものでした。
 バンド名の英文字表記は、Estradasphere 。「マカプセス・イトミサ」は、2003年に発表の、『Quadropus』に収録されています。英文字表記は、「Mekapses Yitonisa」です。ギリシャの伝統音楽なのかもしれません。
 私は、これをギリシャ文字にすることが出来ません。
「pses」は、「χθες」かも?でも、その前の「Meka」が分かりません、、
「Yitonisa」は、「γητονησα」なのか知ら、でもそんな言葉は、、



エストラーダスフェアー webページ

『Quadropus』 on Amazon
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2007年04月14日

Όταν τα ψάρια βγήκαν στη στεριά

 3月3日に、wowwow で、『魚が出てきた日』と言う映画が放送されたそうです。『その男、ゾルバ』の監督、マイケル・カコヤニス( ΜΙΧΑΛΑΗΣ ΚΑΚΟΓΑΝΝΗΣ : Michael Cacoyannis )の1967年の作品です。
 内容は、公開年の少し後、72年という設定のSF映画なのだそうです。ギリシャを舞台にしていますが、アメリカ映画です。言語も英語。

 英語の原題は、「 The Day the Fish Came Out 」。ギリシャでの題は、
Όταν τα ψάρια βγήκαν στη στεριά」。
魚たちが、陸に出てきたとき、です。

「The Day the Fish Came Out」:IMDb

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2007年04月12日

Κοιτάζω τη Γη και είναι τόσο όμορφη

 今日の日めくりカレンダーを見ると、「世界宇宙飛行の日」とあります。1961年に、ソヴィエトの宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンが、宇宙ロケットVostok (Восток) で、歴史上始めての宇宙空間への飛行に成功した日なのだそうです。
 私は、彼の名前を聞くと、彼の言葉だと言う「地球は青かった。」を思い出します。ところが、ウィキペディアを見ると、この言葉があるのは、日本の説明記事だけのようです。ロシア語の記事にも、英語の記事にも、見えないようです。見落としているのかもしれませんが…
 webを検索すると、宇宙飛行士を敬愛している方のページを見つけました。その『 COMRADE KOSMOUNAUT 』というページには、「there was a good view of the Earth which had a very distinct and pretty blue halo. It had a smooth transition from pale blue, blue, dark blue, violet and absolutely black. It was a magnificent picture.」
という言葉が、ガーディアンの1961年4月15日付記事から引かれています。また、このページの見出しは、「I see Earth. It's so beautiful! 」で、「 These are the first words spoken from a man in space.」と説明がついています。
 ギリシャ語でも、書かれたものがないかと検索すると、『Μεγάλοι αστροναύτες』というページがありました。ここにも、上の英文とほぼ同じギリシャ語文がありました。
Κοιτάζω τη Γη και είναι τόσο όμορφη
(私は地球を見ています。それはとても美しいものです。)

 「地球は青かった。」は、日本で作られた文かもしれません。そういえば、日本的な情緒を感じる気もし始めます。

 ガガーリンのロシア語表記:Ю´рий Алексе´евич Гага´рин
ギリシャ語表記:Ο Γιούρι Αλεξέεβιτς Γκαγκάριν
英語表記:Yuri Alekseyevich Gagarin


COMRADE KOSMOUNAUT

Μεγάλοι αστροναύτες


08年月4月3日追記:
「Μεγάλοι αστροναύτες」はなくなっていました。

プラレタリウムで働く傍ら、ガガーリンについての研究をされている方のブログ:
今日も星日和
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2007年04月11日

トロイア落城 十 合図を送るシノーンとヘレネー

 講談社学術文庫から出版されている『ヘレネー誘拐・トロイア落城』を、最近読みました。松田治先生の訳です。これは、これまで日本語に翻訳されていなかったそうです。
 トリピオドーロスの『トロイア落城』の十章に、美しくて興味を引く文がありましたので、それを引きます。

きらびやかな光につつまれた月が、
その表面のかがやきで、
空を照らし、黄金に染めるときがある。
それは、
三日月の先端をとがらせながら、
その新月として暗い闇の中から
浮かびでるときでなく、
自分の目のきらめく円盤を、あくまで丸くしながら
反射する太陽の光線を引きよせるときのことである。


 古典時代のギリシャ語圏でも、月は、太陽の光を反射していると考えられていたのでしょうか。
 webにこの文の原文か、現代ギリシャ語があればいいのですが。Τριφιοδωρος で検索しても、web書店の書籍に当たるだけです…
 それで、自分で、現代ギリシャ語にしてみます。形容は省いて、
「光につつまれた月が、
その表面のかがやきで、
空を黄金に染めるときがある。
それは、
三日月の先端をとがらせながら、
暗い闇の中から
浮かびでるときでなく、
自分の円盤を、丸くしながら
反射する太陽の光線を引きよせるときのことである。」
として、作文してみます。


Κάποτε,
η σελήνη βάφει
χρυσού τον ουρανό
με την λάμψη της επιφάνεια της.
Το δεν είναι τότε που
επιπλέει απο το μαύρο σκοτάδι
με να οξύνει την άκρη της νέας σελήνης,
ακριβώς είναι τότε που
ελκύει τις ακτίνες του ήλιου που
τις αντανακλά αυτή
με να στρογγυλεύει τον δίσκο της.



これでいいのでしょうか???間違いを指摘して頂くと幸いです。
posted by kyotakaba at 17:22| Comment(0) | お話から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月09日

εν υδάτι γράφειν.

 『ギリシャ・ローマ名言集』(柳沼編 岩波文庫)にあった、ことわざ「εν υδάτι γράφειν.」に当る現代ギリシャ語はないかと、web検索をして見ました。それはなかったのですけど、
το αίμα νερό δεν γίνεται! 」(水は血にならない:血は水よりも濃い)
がありました。

 「 εν υδάτι γράφειν. 」(水に書く)は、無駄なことをすると言う意味なのだそうです。でも、流れ去る情景からは、「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と同じような無常観も感じます。それに、やはり、ギリシャは水の国なのだな、という思いも。
posted by kyotakaba at 09:18| Comment(0) | 名言集から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月08日

パスハ

 今日、4月8日がパスハでした。今年は何故だか、オーソドックスのパスハとカソリックのイースターが同じ日です。ついでに、新暦での灌仏会まで同じです。
posted by kyotakaba at 22:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月03日

『石の葬式』から、雨の降り出す前

 『Μικρές ατιμίες : 石の葬式』から、雨が降り出す前の描写を抜いてみます。旱魃であった時に、待望の雨が降り出す所です。


Όλα το απόγευμα σύννεφα περνούσαν πάνω απ' το χωριό με αυξανόμενη συχνότητα. Κι ενώ το πρώτο σύννερο ήταν μικρό κι άσπρο, αργότερα ήταν μεγαλύτερα, βαρύτερα και σκοτεινότερα.


「 午後を通して、雲は、その出現の頻度を増しながら、村の上を渡っていった。また、最初の雲は小さくて白かったのだけど、それに続く雲は、次第に大きくなり、重くなり、暗くなった。」


 「雲」は、最初は冠詞なしの複数形です。全く限定されない概念的な場合でしょう。次に出て来る時は、「最初の」と言う形容がついているので、冠詞があります。
 「頻度を増しながら」とした部分は、「増加している頻度」というように、分詞+名詞で表現されています。直訳すると、「増加される頻度でもって」です。
 「大きい」「重い」「暗い」が、比較級になっています。それで、新しい雲は出現する度に、前のものより「大きく重く暗くなっている」と表現しているのでしょう。


posted by kyotakaba at 14:08| Comment(0) | お話から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする