2020年07月11日

『高い山々』の訂正

 先日、ご指摘をいただきました。 
『高い山々』の55-2と76-7 の訂正をします。 

55-2、 
55. Ο Θύμιος ο Κουδουνάς από τα Σάλωνα 2: aimotokiyotakaba - β
 ここは、シミオスの作った鐘をぶら下げた羊の群れがその鐘を鳴らしているのが聞こえるのを、シミオスがそこにいて音楽を奏でているように表現したものでした。 

 本当のことを言えば、そこは鐘叩きシミオスの土地ではありませんでした。シミオスはサロナの人なのです。でも、シミオスは、自分がサロナにいるかの様に音楽を奏でたのです。と言うのも、遠くから羊の群れがシミオスの鐘を鳴らすのが聞こえたのです。その鐘は、全部がシミオスの作業所で出来たものなのです。シミオスの作業所で、ゲロサナシスおじいさんは鐘を買ったのです。 
 「聞いて、聞いて」と、ディミトラキスとヨルゴスが一緒に言いました。   

訂正→:

 本当のことを言えば、鐘叩きシミオスはそこにいませんでした。シミオスはサロナにいたのです。でも、シミオスは、自分がサロナにいるかの様に音楽を奏でたのです。それはつまり、遠くに羊の一群れがいるのが聞こえたのですが、シミオスの鐘を着けていたのです、全部がシミオスの作業所で出来たものだったと言うことなのです。ゲロサナシスおじいさんはそこで鐘を買ったのです。
 「聞いて、聞いて」と、ディミトラキスとヨルゴスが一緒に言いました。   




76-7 は、変換の間違いをそのままにしていました。 
76. Ο Γκέκας έκανε ό,τι έπρεπε 7: aimotokiyotakaba - β

外科巣 

ゲカス 


ご指摘、ありがとうございます。 


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2020年06月09日

メタナスティスの次のところが分からない

 メタナスティス第二部第十三章「 Η απόφασις 」の次のところ: 
Ο πλοίαρχος ήρχετο εκ της κυρίας Βαλσάμη, πρός ήν η Ανθούσα με απόφασιν να δεχθή επί της κορυφής και του μετώπου της πάσαν κεραυνώδη επιτίμησιν της γηραιάς κυρίας, είχε διηγηθή την παράβολον και αυτοκέφαλον εκδρομήν της.  

 船長はバルサミス婦人宅から来たのだった、それは、あるいは、主人の老婦人から稲妻の様な叱責をすべてその頭に額に受ける覚悟をしたアンスウサが、自分で決めた、投げ出された様な遠出のことを話していたからだったかもしれない。 

と訳しては見たけれど。 

πρός ἤν が分からない、接続詞的な役割なのか? ἤν は、現代語のάν だと思うのだけれど、、、
上の文は、一つの文で、Ο πλοίαρχοςとη Ανθούσα と、主格が二つあるから、πρός ἤν は接続詞の様なものかなと思うのだけど、、、

την παράβολον και αυτοκέφαλον εκδρομήν της もなんとなくイメージできるけど、やっぱり分からない、、、
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2020年05月20日

τετυφωμένη

 アレクサンドロス・パパディアマンティスの『メタナスティス』、第二部十二章「 Ο Ζέννος εν εαυτώ 」の次の文章が分からない。 

Ενόμιζον ότι ήτο τοιαύτη ένεκα του πένθους της, αλλ’ όχι, φεύ! ήτο υπερήφανος, σκληρά, τετυφωμένη.  

これは、ゼノスがマリナを初めて見た時のことを思い出している場面なのだけれど、 
文章は、ゼノスの台詞の中、
Ενόμιζον は、νομίζω の分詞で、一人称単数で、ゼノスが主格なのだと思う。 
τοιαύτη は、そうしたこと、と言う意味か。 
ένεκα は前置詞で、属格が続く、〜の理由で、 
ένεκα του πένθους της 彼女の深い悲しみの為。
φεύ は、感嘆詞。 
ήτο は、現代語の είμαι で、ここは三人小単数だと思うのだけれど、 
それで、その次、 
υπερήφανος は形容詞だけれど、男性形の単数に思える、
その後の、形容詞 σκληρά と形容詞化した分詞 τετυφωμένη は、女性形なのだけれど。 
υπερήφανος と σκληρά、τετυφωμένη は違うものを形容しているのか? 


まるで分からないのだけれど、 
「そうしたことは、彼女の深い悲しみのためだと思ってたんだけど、違ったんだ、ああ!」
「高慢の所為だったんだ。彼女はきつい人で、自惚れた人だったんだ。」と訳してみたけど。
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2020年05月04日

夢十夜 第二夜の訂正

2-2-2 
άτμο → άτομο
καταλαμαίνω → καταλαβαίνω

2-4

Πρόκεται → Πρόκειται  



そのほか、あちこち訂正、、、
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2020年03月16日

わからない

 パパディオマンティス『メタナスティス』の次のところがまるで分からない  


Όταν υπάρχη αμοιβαία εκτίμησις, κύριε, είπεν ο Γόμνος, με φαίνεται ότι δύναται τις να γνωρίση όλον τον κόσμον.  


Όταν は、条件節を導いているのか? 〜の時という平行の接続なのか? 
υπάρχη は三人称単数だから、αμοιβαία εκτίμησις が単数の主格なのか? 
εκτίμησις はカサレヴサで、εκτίμηση と同じか? αμοιβαία は形容詞の女性単数主格か? 
κύριε は呼格だけれど、これはゼノスに向けられているのか? 
δύναται は、三人称単数、カサレヴサで μπορώ と同じだろうけれど、これの主格は? 
τις は、不定代名詞か? 女性代名詞の複数体格なのか? 
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2020年01月10日

Βασίλειος Β'

 ホロノグラフィアの「 Βασίλειος Β' 」、これまでは、Β' の部分を見逃していたのだけれど、( 正直に言うと、巻の初めなのに、どうしてベータなのかな?と思っていた。 ) これは、二世のことでした。 
 次に投稿する記事からは、バシリオス二世と書きます。
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2019年07月03日

75. Ο γάμος της Αφρόδως 7

 ザハリアス・パパンドニウの『高い山々』の第七十五章「アフロドウの結婚」7


まるで分かりません。 


Και οι συμπέθεροι πάλι του γαμπρού τραγούδησαν:

Έβγα, κυρά και πεθερά,
για να δεχτείς την πέρδικα,
για να δεχτείς την πέρδικα
που περπατεί λεβέντικα.

Για ιδέστε την, για ιδέστε την,
ήλιο, φεγγάρι πέστε την.
Για ιδέστε την πως περπατεί,
σαν άγγελος με το σπαθί.

Αυτού που ζύγωσες να μπεις,
ήλιος, φεγγάρι θα φανείς.

Έβγα, κυρά και πεθερά,
για να τη βάλεις στο κλουβί,
σαν το πουλί να κελαηδεί.



Google翻訳: 
そして、新郎の新郎は再び歌いました:

私は行った、女性と義母、
ヤマウズラを受け入れる
ヤマウズラを受け入れる
誰が寛大に歩きます。

彼女に会うために、彼女のために、
太陽、月は彼女に言う。
彼の歩き方を見ると
剣を持った天使のように。

あなたが入ってきたのは
太陽、月が現れるでしょう。

私は行った、女性と義母、
ケージに入れる
歌う鳥のように。 


Bing 翻訳: 
そして、新郎は再び歌いました:

EVGA、愛人と義母、
パートリッジを受け入れるには
パートリッジを受け入れるには
レヴェンティカを歩く者

ほとんどの場合、
太陽よ、月が言うんだ
彼女の歩き方に関しては
剣を持った天使のように

体重の重い男
太陽、ムーンが登場します。

EVGA、愛人と義母、
檻に入れるには
まるで鳥が見えるかのように。


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2018年09月04日

Του έπιασε το χέρι και το μέτωπο

 第五十六章「病気になったフォンドゥリス」3 の中の、 
Ο κυρ-Στέφανος προχώρησε στην καλύβα κι έσκυψε επάνω στο παιδί. Του έπιασε το χέρι και το μέτωπο. Ο Φουντούλης άνοιξε τα μάτια του και τον κοίταξε.  
の部分、 その中の、「 Του έπιασε το χέρι και το μέτωπο 」を「片手と額が痛かったのです。」と訳したのだけれど。それでいいのかどうか分からない。 
 ここの部分、三つの文なのだけれど、一つ目の主格は、Ο κυρ-Στέφανος 、三つ目の文の主格はΟ Φουντούλης 。それで、二つ目の文は、主格は何だろうか? 
 文の進行からすれば、Ο κυρ-Στέφανοςなのかな、と思う。ステファノスさんがフォンドゥリスの手と額を取った。と言うことかと。でも、έπιασε の前に、Του 単数三人称代名詞の属格( 与格? )が来ているのは何故かと、気になる。
 Τον έπιασε από το χέρι και το μέτωπο. ならば、一般的な表現なのだけれど。 
 それで、Με έπιασε το κεφάλι μου. 頭が痛くなる。 と言う表現があって、でもそれは、対格を使っているのだけれど、 
 μου αρέσει ... と言う表現もあるので、属格でもいいのかな、と思ったので。 

 Του έπιασε το χέρι και το μέτωπο.  英文法的にいえば、έπιασε 動詞/Του 間接目的語/το χέρι και το μέτωπο 直接目的語と言うことなのかな? でも、それでも、文の意味がよく分からないのだけれど、、、  


追記: 
Του έπιασε το χέρι για να μην πηδήξει. 彼が飛び出さないように、手を押さえた。と言う例文がオックスフォード辞書にあったので、
やはり、主格は、Ο κυρ-Στέφανος で、ステファノスさんはフォンドゥリスの手と額を押さえて見ました。と言うような意味なのだと。
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2018年07月18日

暑気休暇

 暑いので、読んでないです、、、
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2018年07月02日

訂正

『高い山々』、第五十章「ファニスに向けて進む」2 の訂正。 


Τράβηξαν μπροστά, μέσα από οξιές και πουρνάρια, χωρίς κανένα μονοπάτι のところ、
小径もまるでないブナ林の中、柊の茂みのなかを進みました 
→ 
小径もまるでないブナと柊の林の中、柊の茂みのなかを進みました。
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分からない

 『高い山々』の次の部分は分からない。 

≪ Κι αν πάθουμε τίποτα; ≫
≪ Είμαστε πέντε ≫, είπε ο Αντρέας.
Ακολούθησαν όλοι.
Ανέβαιναν τον βράχο δύσκολα πολύ. Τους πιάστηκε η αναπνοή και στάθηκαν δυο φορές για ν’ ανασάνουν. Όταν έφτασαν στα κοτρώνια χρειάστηκε να περπατήσουν γύρω-γύρω για να βρουν ανάμεσα πέρασμα. Τόσο σφιχτά οι πελώριες αυτές πέτρες έζωναν τον βράχο. Νόμιζες πως έστεκαν επίτηδες εκεί για να εμποδίζουν. Πουρνάρια φύτρωναν αναμεταξύ. Άγρια πουλιά με γυριστή μύτη πετούσαν από τις τρύπες στον αέρα.
≪ Πάμε ≫, είπε ο Κωστάλης, ≪ δεν μπορούμε να περάσουμε ≫.
 


Google翻訳: 
「もし何か手に入れたら? ≫
    「私たちは5人です」とAndreasは言いました。
    彼らはすべて従った。
    彼らは一生懸命動揺していた。 彼らは呼吸を捕らえられ、呼吸するために二度立ちました。 彼らがコテージに着いたら、通路を見つけるために歩かなければなりませんでした。 だから、これらの石の石は岩に触れた。 あなたは彼らがそれを故意に防ぐためにそこにいると思った。 彼らの間にポーランド人が芽生えました。 野生の鳥が鼻で空中の穴から飛び出しました。
    「行こう」と、「私たちは合格できません」とKostalisは言った。

Bing 翻訳 
"私たちに何かが起こったら?" "我々は5です" とアンドレアスは言った。
彼らはすべて続いた。
十分に懸命に岩に登った。 彼らは息に巻き込まれ、ため息に2回立っていた。 彼らが kotrwnia に着いたとき、彼らは通路の間を見つけるために歩き回っていた。 だから、これらの巨大な石は岩を Ezwnan タイト。 あなたはそれを防ぐためにわざと立っていたと思った ホリーは成長した 曲線の鼻を持つ野生の鳥は、空気中の穴を飛んだ。
「行きましょう」と Kwstalis は言った。
posted by kyotakaba at 13:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月29日

マイブログリニューアル

 4月17日に、シーサーは、マイブログをリニューアルしたのだけれど。編集ページのスタイルが崩れてしまうようになった。キャッシュを空にしても正常にはならなくて。 
 投稿フォームでは、幾つかのボタンが表示されない。アクセス解析のページでは、表の表示が無効?になっているのか、横に並ぶことがないので。 
 使い辛いけれど、仕方がない。 

 このブログでは、ギリシャ語部分を文字を大きくしているのだけれど、その「文字を大きく」の 「A+」のボタンが表示されないので。コードを入力することにしたけど、、、 
 ブログサービスの初めの頃は、ギリシャ語のトノスの付いた母音、語尾シグマも入力出来なくて、コードで書かなくてはならなくて、煩わしくて、一行以上のギリシャ語文が難しかったのに較べれば、ずっと良いかと思うけど、、、
posted by kyotakaba at 11:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月21日

Δεν ενόει διατί αύτη μόνον γελοίους έρωτας ενέπνευσεν εν τώ βίω της

 アレクサンドロス・パパディオマンディスの『メタナスティス』の中のこの文章が、まったく分からない。 

Δεν ενόει διατί αύτη μόνον γελοίους έρωτας ενέπνευσεν εν τώ βίω της, ενώ η άλλη ήτο τόσον ευτυχής εις τα όμματά της. 

ενόει は、動詞、νοώ 。γίνεται νοητό, μπορεί κανείς να καταλάβει κτ.。
διατί は、γιατί と同じ。 
αύτη は代名詞の女性単数、主格か? 
μόνον は副詞なのだと思う。 
γελοίους は γελοίος の複数形対格なのか??? だとすれば何の動詞の対格なのか? 
έρωτας は男性名詞単数、「愛」、主格。なのか?? 何か違うのか? 
ενέπνευσεν は、εμπνέω の三人称単数アオリスト、主格は έρωτας だと思う。 
εν τώ は前置詞と冠詞で、「〜の中に」だと思う。 
βίω は、βίος の与格なのだと。 
όμματά は、μάτια 。 

と書いてふと思ったのは、γελοίους は動詞なのでは? ということ。形は変なのだけど、、、でも、έρωτας が対格でないし、、、 

αύτη は? カキアのことなのか? 何か他の名詞なのか? η άλλη は???   



追記: 
それで次の様に訳して見たのだけれど、  

カキアは理解出来なかった、マリナの命の中で生気を与えているのは僅かに恋だけだと言うこと、それだから、カキアの目にはマリナがとても幸せに見えると言うことが。
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2018年01月05日

よみかた

 エティオピア物語が終わってしまったので、次は何を読んでみようかと思っている。『エペソス物語り』とか『レウキッペとクリトフォン』とか『ダフニスとクロエ』とかもあるけど。 
 エティオピア物語の現代語訳を出版している ΑΓΡΑ 社からは、古典シリーズがいろいろあるけれど、私が興味を持っているのは、Ιπποκρατής の『 Το γέλο και η τρέλα 』、それに、Μιχαήλ Ψελλός の『 Χρονογραφία 』。  
 ああ、そうだ、エウクレイデスの『 Στοιχεία 』とかも。
 それに、現代と言うか20世紀の小説、Ανδρέας Εμπειρίκος の『 Ο Μέγας Ανατολικός 』。 
 私に読めるものがあるか知ら、、、
posted by kyotakaba at 08:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月28日

エティオピア物語

 2009年4月21日から、読み始めた『エティオピア物語』が終わった。自分でも驚いた。最初は、最後まで読むつもりでもなかった様に思う。それに、読通せるとも思ってなかった、と。 
 紙のノートに書いて行く、と言う方法もあったのだけれど。それに、読み始めた頃は、紙のノートに書く方が文の構成を着実に読み取れると感じていたし、訂正や書き込みも自由に入れられるので、自身の思考/試行の跡も目に見えるし、日本語の場合、変換が煩わしくて思考が途切れることもあったし、ギリシャ語/日本語の切り替えもまどろこく感じていたしで、パソコンを使うのに抵抗もあったのだけれど。結局は、パソコンだけで、書き残していた。 
 それに、自分のパソコン内の書類だけではなくて、ブログにして、公開したのは、それ程の意図があったのでもなかったのだけれど。ただ、誰かが間違いを訂正してくれるのでは、と期待はしていたのだけれど。 
 まあでも、ブログ・サービスを利用していたお陰で、パソコンがクラッシュして自分のパソコン内のファイルを失った時も、ブログにあるファイルをコピーすれば良かったので助かった。 
 それより何より、公開していて人目を受けていると言う意識が、最後まで読通せさせたのかもしれないし。 

 最初は、叙述体だったのに、途中から会話体になってしまった。訳の内容は、間違いが多くあるだろうけれど、また読み返したら、自分でそれが分かるかどうかは分からない。最初の頃は、インターネット上にある英訳を参考にしていたのだけれど、いつの間にか、それがある事も忘れていた。 
 ほんの少しずつでも、読み続けて、最後まで読通せたのは、何より、物語りが面白かっただろうけれど。途中何度も、もうわからない!とヒステリーを起こして、それを書き付けたりもしたけど。不思議なもので、そう書くと、文が分かったりして、、、でも、そんな醜態をも人目を受けていたので、読通せたのかも??? 

 何処かで読んで下さっていた方には、深く感謝。ブログ・サービスを提供してくれているシーサー社にも感謝。

 で、少しは現代ギリシャ語を身に着けたかと言えば、大いに疑問、、、、それは、一つには、パソコンだけになった理由でもあるけど、電子辞書はとても便利で、変化している語をボタンを押すだけで検索出来るので、つい頼ってしまって、、、でも、やはりそれ以前の自分の能力と言うことなのだろうけど、、、
posted by kyotakaba at 21:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月23日

訂正

 『エティオピア物語』第十巻37-3 と39-1 で、シシミシリスをシシミリスと間違えていたので訂正します。
posted by kyotakaba at 10:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月26日

高い山々 40 黒い子山羊 1の訂正

 ラブロスは、一昨日も昨日も勉強に来たのですよ、そして今日も来たのです。 
 自分の時計を見て、几帳面に同じ時間に来るのです。ラブロスの時計は、一本の野生の梨の枯れ樹なのです。朝の十時に、その影が印しの上に落ちるのです。そうすると、この生徒は、走って出掛けディミトラキスのところに来るのです。山羊は他の時間に集めたのです。ところが、ところが、一頭だけは駄目なのです。一匹の子山羊、黒い子山羊です。どこにも見つからないのです。 
 おじいさんにそう言うと、大変な癇癪を喰らってしまいました。 
 「探しに戻りなさい。私の持っているのは、あの子山羊だけなのだ、群れを全部持っているのではないのだ!」




 ラブロスは、一昨日も昨日も勉強に来たのですよ、そして今日も来たのです。 
 自分の時計を見て、几帳面に同じ時間に来るのです。ラブロスの時計は、一本の野生の梨の枯れ樹なのです。朝の十時に、その影が印しの上に落ちるのです。そうすると、この生徒は、走って出掛けディミトラキスのところに来るのです。ある時、山羊を集めたのですが、ところが、ところが、一頭だけは駄目なのです。一匹の子山羊、黒い子山羊です。どこにも見つからないのです。 
 おじいさんにそう言うと、大変な癇癪を喰らってしまいました。 
 「探しに戻りなさい。私の持っているのは、あの子山羊だけなのだ、群れを全部持っているのではないのだ!」
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2017年10月10日

Elfinspell

 きょうは、「 Κι ούτε θα γίνει ποτέ : πρόσθεσέ το κι αυτό 」の部分が分からなくて、Elfinspell の英訳を久しぶりに見た。でも、それは、Wikipediaから初めて検索して見つけてのこと。「これは見たことがある。」と直ぐに思ったのだけど。Book 1 をブックマークに入れていたのも、すっかり忘れていた。 

 「 Κι ούτε θα γίνει ποτέ : πρόσθεσέ το κι αυτό 」は、これで一文で、ディオ・テレイエスの前後は同じ内容だと考えるべきなので、、、 
 でも、ディオ・テレイエスでなくて、不通のテレイエスの方が分かりやすくないかなあ、、、それとも、「 Πρόσθεσέ ότι ούτε θα γίνει ποτέ 」とか。あるいは、「 πρόσθεσέ το κι αυτό : ούτε θα γίνει ποτέ 」の方が読み進みやすい様に思うのは、ギリシャ語を理解してないからだろうか?  
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エティオピア物語 第十巻 33-2 note

 第十巻 33-2 の分からないところ: 
Κι ούτε θα γίνει ποτέ : πρόσθεσέ το κι αυτό 。
ここのディオ・テレイエス δυο τελείες の前後の文章の繋がり方。 
ディオ・テレイエスは、引用符の様な感じだと思っていたのだけれど、ここの文章ではそうでもない様。

Δύο τελείες ( : )
Οι δύο τελείες δηλώνουν ότι θ' ακολουθήσει παράθεμα από ξένο κείμενο, απόφθεγμα, παροιμία ή ευθύς λόγος. Χρησιμοποιείται ακόμη στις περιπτώσεις που αναλύομε ή ερμηνεύομε κάτι που έχομε καταγράψει, π.χ.: Σκεπτόμουν καθαρά τούτο: θα εκτελέσω όσο μπορώ καλύτερα το χρέος μου.
Η λέξη ύστερ' από τις δύο τελείες γράφεται με αρχικό γράμμα κεφαλαίο όταν οι δύο τελείες έχουν τη θέση τελείας. 

それから、ここの αυτό が何を指すのかが分からない。το だから、物ではなくて、ある事なのだと思うけれど。

そして、この文章の後の、άν εγώ διαβάζω σωστά τα αισθήματα της Χαρίκλειας・ …、とどう繋がっていくのかも、分からない。
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エティオピア物語 第十巻 33-2 d

≪ Αυτά είναι ανοησίες ≫, είπε ο Υδάσπης, ≪ όντως μελλοθάνατου λόγια. Η εσχάρα απέδειξε ότι η κόρη αυτή δεν έχει γνωρίσει γάμο ούτε έχει έλθει σε επαφή με άνδρα・ εκτός άν, άγνωστο πώς, έμαθες κάτι για τον Μερόηβο από δώ κι εκείνον θεωρείς άνδρα της・ αλλ’ αυτός δεν είναι ακόμα σύζυγος, μόνο μνηστήρα της τον έχω ονομάσει ≫. ≪ Κι ούτε θα γίνει ποτέ : πρόσθεσέ το κι αυτό ≫, είπε ο Θεαγένης, ≪ άν εγώ διαβάζω σωστά τα αισθήματα της Χαρίκλειας・ και μάλλον πρέπει να πιστεύετε στις μαντείες ενός ανθρώπου που προορίζεται για θυσία ≫.



Google翻訳: 
「これはナンセンスです」とHypapis氏は言います。「本当に致命的な言葉です。 グリッドは、この娘が結婚しておらず、男性にも連絡していないことを証明しています。あなたに知られていない限り、あなたはMeroeibosについて何かを学んできました。あなたは彼女の夫を考慮しています。 私は名前をつけた。 「それは決して起こらないだろう:それを加えて、私がHaricleiaの感情を正しく読めば、Theogeneを言った、むしろあなたは犠牲のための男のマナーを信じなければならない」


worldlingo 翻訳: 
「これらはfooleries」、言ったYdaspisを、「全くmellothanatoy理由である。 グリルは結婚がどちらも人と接触しなかったことをこの女の子が知らなかったと証明した・ 、私からのMeroiboのための何かを彼女の人を考慮するためにいかに学んだか、未知数それ見れば・ allはまだこれmnistiraだけが彼女彼を」名前を挙げた、配偶者ではない。 「それは決してならないし、: それは加え、私が私Charikleiasの感じを正しく読んだらこれは」、Theagenisを、「言った・ そしてむしろそれは犠牲のために」意図されている人のclairvoyancesを信じるべきである。
posted by kyotakaba at 13:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする