2014年04月25日

να ανοίξει η γη να με καταπιεί

 ことわざ(?)、慣用表現。

ν' ανοίξει η γη να με καταπιεί.  私を飲み込むように、大地を開かせよう。

意味:Ντράπηκα τόσο πολύ που ευχόμονα να γίνω αόρατος. 見えなくなりたい程、恥ずかしい。

να-句が二つありますが、最初の να ανοίξει は、命令形だと。
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2014年02月28日

Σήμερα κινήσαμε κι' αύριο πόσες έχουμε.

 ことわざ:Σήμερα κινήσαμε κι' αύριο πόσες έχουμε.
今日やろう、それだけ、明日持てる。
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2014年02月21日

Σπίτι κι' αμπέλι δεν κάνει όποιος θέλει.

ことわざ「 Σπίτι κι' αμπέλι δεν κάνει όποιος θέλει. 」

家とブドウ、欲しい人には誰でもではない。

意味:
Για να κάνεις κάποια δύσκολα πράγματα, δε φτάνει να θέλεις, πρέπει επιπλέον να έχεις τις ικανότητες και τις γνώσεις που χρειάζονται.

何か難しいことをしようとすれば、前もって、必要な技術と知識を持っていなければ、望む通りにはならない。
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2013年02月03日

η Αριστερά δεν είναι παρά μια ≪διαρκής ευαισθησία≫.

 きのう、インターネットをぶらぶら見ていたら、イギリスのポピュラー音楽家のロジャー・ウォーターズさんのインタビューに、ギリシャの作家の名前が出て来るものに、出会いました。
 その作家は、Γιώργος Ιωάννου ヨルゴス・イアヌウ。1927年生まれ、1985年没。セサロニキ出身。
 ウォーターズさんのインタビューでは、彼の言葉、「 η Αριστερά δεν είναι παρά μια ≪διαρκής ευαισθησία≫. 」が引用されていたのでした。検索すると、新聞カセメリニも、この言葉が引用されている記事があって、η γνωστή φράση του Γιώργου Ιωάννου / 有名なヨルゴス・イアヌウの言葉、とありました。他のブログ記事では、≪Η Αριστερά είναι μια διαρκής ευαισθησία≫.≪Η Αριστερά είναι μια διαρκής επιθυμία και ένα συνεχές και πάντοτε ανεξόφλητο χρέος≫. とも。
 出典は分からないのですが。

左翼とは、畢竟、何処までも続く感受性に他ならない。

.:BiblioNet : Ιωάννου, Γιώργος, 1927-1985
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2012年11月26日

Χωρίς φωτιά καπνός δε βγαίνει

 諺、格言の本を適当に開いて、目についた言葉。

Χωρίς φωτιά καπνός δε βγαίνει
明りがなければ、誰も外には出ない。

 説明には:
Αν δεν υπάρχει πραγματική αιτία οι διαδόσεις δε γίνονται πιστευτές και ατονούν.
現実的な原因がなければ、噂は、信じられないで、消えて行く。

ライカにも、この諺をタイトルにしたものがある様です。
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2011年11月22日

ου γαρ έρχεται μόνον

ου γαρ έρχεται μόνον

: τα γηρατειά έρχονται με όλα τα (δυσάρεστα) επακόλουθα


老いは一人だけに来るのではない。
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2011年04月03日

ΟΙ ΑΛΗΘΙΝΟΙ ΑΘΗΑΙΟΙ ΔΕΝ ΠΛΗΣΙΑΖΟΥΝ

 『 LOGICOMIX 』の台詞から。 ( 全く重要でない台詞、ただ、アクロポリスに登ると言うところで、 )


Ο ΧΕΝΡΙ ΜΙΛΕΡ ΕΙΠΕ ΟΤΙ ΟΙ ΑΛΗΘΙΝΟΙ ΑΘΗΑΙΟΙ ΔΕΝ ΠΛΗΣΙΑΖΟΥΝ ΠΟΤΕ ΤΗΝ ΑΚΡΗΠΟΛΗ!

真のアテネ市民はアクロポリスには決して近づかない、とヘンリー・ミラーは言った。


 本当はどうなのでしょう? 春になったら、アクロポリスに εκδρομή に行きましょうね、と言われたけど。あ、アテネ出身の人ではなかった。
 それから、この言葉、本当に、ヘンリー・ミラーが言ったのかどうかは知りません。
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2009年04月19日

Ο Θεός δίνει το 'να, δίνει και τ' 'αλλο.

『Παροιμίες και Φράσεις』から。

ことわざ、
「Ο Θεός δίνει το 'να, δίνει και τ' 'αλλο.」

神は一つを与えて、それから、また別のものを与える。

 「天は二物を与えず」ではなくて、「禍福は糾える縄の如し」のような意味のようです。

 説明は、
「Η σωή μας έχει και καλά και άσχημα. Να μην καυχιόμαστε όταν είμαστε ευτυχείς, ούτε να απελπιζόμαστε στις άσχημες στιγμές.」

私たちの人生にはよい時も悪い時もあります。幸運だからといって驕ってはなりませんし、また、不運な時にも絶望してはいけません。
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2009年02月27日

Πάντων χρημάτων μέτρον άνθροπος.

 「παντών μέτρον άνθρωπος」で検索がありましたので。

 プロタゴラスの言葉。 ( Πρωταγόρας )
『Greek proverbs』にも、取り上げられています。

古典語では、

Πάντων χρημάτων μέτρον άνθροπος.
(気息記号はつけていません)

現代ギリシャ語では、

Ο άνθρωπος είναι το μέτρο του Σύμπαντος.

人間は森羅万象の計りである。

「Σύμπαντος」、現代の辞書では、「σύμπαν」。

シンバン

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2009年01月03日

「なぜその門を揺すってこじ開けようとなさるのか」

 ヘリオドロス『エティオピア物語』下田立行訳を少しばかり読みました。
 冒頭部分の、主人公、カリクレイアとテアゲネスが盗賊に捕えられて、その盗賊の住処に連れてゆかれて、そこにいた、彼らと同様に捕えられていたギリシャ人、クネモンに会うところで、エウリピデスの『メデイア』の台詞が使われていました。カリクレイアとテアゲネスが、クネモンに捕えられた経緯を尋ねた時に、それを話したくないクネモンの返答に、その台詞は使われています。「なぜその門を揺すってこじ開けようとなさるのか」と言う台詞です。
 慣用表現として使われているのかもしれない、と思いました。それで、webで検索してみました。
 この台詞は、『Μήδεια』の1317行です。

 英文の訳は直ぐに見つかりました。


Medea:Poetry in Translation

 古典ギリシャ語のものは、Anemi (キプロス大学図書館)の蔵書の電子画像で見つかりました。

Anemi Degital Library

PDF 書類です。84ページに1317行はあります。

ΜΗΔΕΙΑ


英文では、
「What now, Jason? Why all this shaking and banging at the door? Are you after these dead children and after me, their murderess? 」

古典語では、
「τί τάςδε κινείς κάναμοχλεύεις πύλας,
νεκρούς ερευνών κάμε την ειργασμένην;」
(気息記号は付けていません)

現代語では、アリストテレス大学(セサロニキ大学)図書館の電子画像にあるのですが、
全文ではないのかもしれません。見つけられませんでした。

ΓΙΑΝΗ ΠΕΡΓΙΑΛΓΓΗ の訳


 ですので、現代語ではどういうのか分かりませんでした。
「τί τάςδε κινείς κάναμοχλεύεις πύλας,
νεκρούς ερευνών κάμε την ειργασμένην;」
この古典語では、私には分からない語が多くて読めません。
τί は、疑問詞でしょう。
τάςδε は分かりません。
κινείς は、κίνω 動かす、でしょう。
κάναμοχλεύεις は分かりません。 κλονίζω 揺さぶる、が現代語ではあります。
叩くの現代語は、χτυπώ 。
πύλας は門。現代語では、πύλη 。

ですので、現代語では、
Γιατί κλονίζεις χτυπώντας την πύλη;
でしょうか?


 そこで、『Greek Proverbs』に取り上げられているエウリピデスの文句。
Η δράση φέρει καλύτερα αποτελέσματα από τα λόγια.
行動は言葉よりも良い結果をもたらす。
これは、どの悲劇にあるのかは知らないのですが。
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2008年12月04日

Τα πουλιά αγαπούν τα σύκα αλλά δεν τα φυτεύουν.

 『Greek Proverbs』から。挿絵の美しさに眼をとめて見ていますけれど。

「Σύκα φιλ' ορνίθεσσι φυτεύειν δ' ούκ εθέλουσι.」
(古典語、気息記号は付けていません。)

 現代ギリシャ語では、
「Τα πουλιά αγαπούν τα σύκα αλλά δεν τα φυτεύουν.」と。

鳥たちは、イチジクが大好き。でも、植えない。

 古典語と現代語では、「鳥」が違っています。
現代ギリシャ語では、πουλί です。川原辞書によると、これはラテン語から。
古典語では、ορνίθεσσι が使われています。これは複数でしょう。
現代語でも、カサレヴサで、όρνις があります。属格が όρνιθος のようです。

 現代語の文にないのは、εθέλουσι 。
εθελοντικός 自発的な、ボランティアのと言う形容詞が、現代語にもあります。
-ός を -ά の帰れば副詞になると思いますので、この語も入れてみます。

Τα πουλιά αγαπούν τα σύκα αλλά δεν τα φυτεύουν εθελοντικά.

 けれども、どういう風に使うのでしょう? 



 D.S.Baker 『Greek Proverbs』、Amazon.jp にもあります。

『Greek Proverbs』 on Amazon.jp

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2008年11月25日

『Παροιμίες και Φράσεις』

 購入したことわざの本、その『Παροιμίες και Φράσεις』は、まず、二つに章立てられています。Κεφάλαιο ΕΝΑ と Κεφάλαιο ΔΥΟ です。この章別がよく分からないのですが、ΔΥΟ の方は量が少ないです。明白なものということなのですが、普段よく使うものということか知ら?
 それで、ΕΝΑ は、五つの分類がされています。1と5は何なのか分かりません。2は、女性についての、3は、動物についての、4は、神、聖人についての、でした。

 目次の部分で、ήτοι ( すなわち ) と言う語が多用されていました。現代語では、ήδη ですけれど。数学用語で使うでしょうか?

 女性の部類の最初のことわざは、
「 Όσο σε βοηθάει η αυγούλα, ούτε μάνα κι' αδελφούλα. 」でした。
説明は、
「 Δείχνει πόσο χρήσιμο είναι να ξυπάς νωρίς και ν' αρχίζεις από το πρωί της δουλεές - αλλά και πόσο πολύτιμοι είναι οι άνθωρωποι της οικογένειάς σου. 」
でした。

卵売りがあなたを助けるならば、お母さんもお姉さんたちもそうでしょう。

早起きして朝早くから仕事を始めるのは、有益だと言うことを示しています。
または、家族は貴重だ、ということ。


 説明を読んでもよく分かりませんけれど。
 早起きしたら、卵売りのおじさんやお母さんやお姉さんが仕事を手伝ってくれる、と言うのか知ら?
 それと、他人の卵売りのおじさんが助けてくれるのなら、もちろん、お母さんやお姉さんたちが助けてくれる、と言うの?
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2008年11月20日

ことわざの本

 books in greek に注文していた本が届きました。包みに貼られていた切手もとてもきれいでした。星座のデザインでした。0.05€のΑΙΓΟΚΕΡΟΣ (山羊座)と0.20€のΤΟΞΟΤΗΣ(射手座)のものが使われていました。他にも三枚の切手。

 二冊の本、『greek proverb』と『Παροιμίες και Φράσεις』は、両方ともきれいな本でした。

 『greek proverb』は、D.S.Baker 編集で、Grahame Smith の挿絵が毎ページに入れられています。
 古典語と現代ギリシャ語、それに英語が付いています。
 『Παροιμίες και Φράσεις』は、ことわざが、五つに類別されています。(どういう類か、まだ分かりません。) ことわざと簡単な説明がついているようです。

 『greek proverb』に最初に取り上げられているのは、
「Είναι ντροπή ένας νέος να αμφισβητεί την σοφία ενός γηραιού.」です。
若者が、老人の智慧に疑義を呈するのは恥ずべきことだ。


 『Παροιμίες και Φράσεις』には、
「Δε δουλέψαμε, δε φάμε.」。

Όπιοος/α δεν εργάζεται, δεν μπορεί να έχει απαιτήσεις ούτε για τα στοιχειώδη.

「働くもの食うべからず」
働かないものは誰も、必要なものでさえ要求することは出来ない。
στοιχειώδης は、「基本の、不可欠の」の意味の形容詞です。
語幹最後のω にアクセントがあり、語尾が ης の中性複数主格と対格の語尾は、 η です。(属格の語尾は ών)



『greek proverb』の最初のことわざのページ:

greek proverb .gif
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2007年09月04日

Τα μάτια και την γλώσσα και τα αυτία και τον νου

 柳沼編『ギリシア・ローマ名言集』には、テオグニスの一行があります。
「賢明な人の目と舌と耳と心は、胸底深くにある。」です。テオグニス1163、と出典が記されています。テオグニスは、紀元前570〜480年に生きた詩人とのことです。エレゲイアという詩形の詩人。
 ギリシャ語表記は、θέογνις 。
 国会図書館をweb書名検索すると、1963年出版の河盛好蔵 編『世界人生論全集』があるだけでしたけれど。

 さて、『名言集』には、古典語が掲載されています。目も耳も心も、現代語とは違うのですね。舌は、同じ様です。胸も少し違いますけれど、分かります。
 けれども、「ある」という動詞の見当がつきません。「φύεται」が動詞なのでしょうけれど、現代語の辞書を引くと「φυλάω (見張る、貯蔵する)」と言う語があります。これでしょうか。

 古典語は、
「ὀφθαλμοί και γλὧσσα και οὒατα και νόος ἀνδρων ἐν μέσσωι στηθέων ἐν συνετοἷς φύεται.」です。


 これを現代語で作文してみます。
目は、μάτια (複数)
耳は、αυτία (複数)
心は、νους
胸は、στήθος
賢明なは、συνετός


Τα μάτια και την γλώσσα και τα αυτία και τον νου φυλάει μέσα στο στήθος ο συνετός άνθρωπος.
 深く、という副詞が入れられなかったですけど、、、


 詩の中の一行なのでしょうか。この一行だけでは、意味を理解するのは危ういかもしれませんけれど。現代の私たちの観点からは、注意深く見、聞き、深く考え発言するのが賢明だ、というように思えます。
 でも、目、舌、耳、心、と並んで、それも並列です。感覚の器官を列挙している様にも思えます。心も、感覚の器官の一つなのでしょうか、それならば、触覚のことでしょうか。
 感覚の器官、鼻がないのは何故でしょう。嗅覚は、智とは関わらない、というのでしょうか。
 視覚、味覚、聴覚、触覚、を統合するのが叡智である、という意味かも知れません。
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2007年04月12日

Κοιτάζω τη Γη και είναι τόσο όμορφη

 今日の日めくりカレンダーを見ると、「世界宇宙飛行の日」とあります。1961年に、ソヴィエトの宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンが、宇宙ロケットVostok (Восток) で、歴史上始めての宇宙空間への飛行に成功した日なのだそうです。
 私は、彼の名前を聞くと、彼の言葉だと言う「地球は青かった。」を思い出します。ところが、ウィキペディアを見ると、この言葉があるのは、日本の説明記事だけのようです。ロシア語の記事にも、英語の記事にも、見えないようです。見落としているのかもしれませんが…
 webを検索すると、宇宙飛行士を敬愛している方のページを見つけました。その『 COMRADE KOSMOUNAUT 』というページには、「there was a good view of the Earth which had a very distinct and pretty blue halo. It had a smooth transition from pale blue, blue, dark blue, violet and absolutely black. It was a magnificent picture.」
という言葉が、ガーディアンの1961年4月15日付記事から引かれています。また、このページの見出しは、「I see Earth. It's so beautiful! 」で、「 These are the first words spoken from a man in space.」と説明がついています。
 ギリシャ語でも、書かれたものがないかと検索すると、『Μεγάλοι αστροναύτες』というページがありました。ここにも、上の英文とほぼ同じギリシャ語文がありました。
Κοιτάζω τη Γη και είναι τόσο όμορφη
(私は地球を見ています。それはとても美しいものです。)

 「地球は青かった。」は、日本で作られた文かもしれません。そういえば、日本的な情緒を感じる気もし始めます。

 ガガーリンのロシア語表記:Ю´рий Алексе´евич Гага´рин
ギリシャ語表記:Ο Γιούρι Αλεξέεβιτς Γκαγκάριν
英語表記:Yuri Alekseyevich Gagarin


COMRADE KOSMOUNAUT

Μεγάλοι αστροναύτες


08年月4月3日追記:
「Μεγάλοι αστροναύτες」はなくなっていました。

プラレタリウムで働く傍ら、ガガーリンについての研究をされている方のブログ:
今日も星日和
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2007年04月09日

εν υδάτι γράφειν.

 『ギリシャ・ローマ名言集』(柳沼編 岩波文庫)にあった、ことわざ「εν υδάτι γράφειν.」に当る現代ギリシャ語はないかと、web検索をして見ました。それはなかったのですけど、
το αίμα νερό δεν γίνεται! 」(水は血にならない:血は水よりも濃い)
がありました。

 「 εν υδάτι γράφειν. 」(水に書く)は、無駄なことをすると言う意味なのだそうです。でも、流れ去る情景からは、「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と同じような無常観も感じます。それに、やはり、ギリシャは水の国なのだな、という思いも。
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2007年03月13日

かつて一度は少年であり

 中務哲郎先生の随筆集『饗宴のはじまり』(岩波書店)所収の「キケロにおける魂の不死について」の中で、エンペドクレスのことばが紹介されていました。それがとてもきれいなので、備忘したいと思います。
 「私はこれまで、かつて一度は少年であり 少女であった、藪(植物)であり 鳥であり 海に浮かび出る物言わぬ魚であった」と言う行です。出典は、『ソクラテス以前哲学断片集 第二分冊』、断片117。(藤沢令夫 訳)
 これに当たる、現代ギリシャ語はないかと、web を検索しました。
「path finder」と言うページで見つけました。
「"Ήδη εγώ κάποτε αγόρι υπήρξα, κόρη, θάμνος και πουλί κι άφωνο ψάρι που από τη θάλασσα προβάλλει" (Καθαρμοί 117)」。

 また、『ΠΡΟΣΩΚΡΑΤΙΚΟΙ ΦΙΛΟΣΟΦΟΙ』と言うページでは、上記の文とは違う文章を見つけました。その文は、違うものですけれども、似た名詞が連なっていました。それを備忘します。これは断片の23となっています。(断片23なのか、断片何かの23行なのか、よく分からないのですが)


φτιάχνουν απ' αυτά μορφές που με κάθε τι μοιάζουν,
πλάθοντας δέντρα και άντρες και γυναίκες ,
θηρία και πουλιά και υδρόβια ψάρια
 画家について述べている分の一部です。これを訳すと、
「それらから、その度に、何かが似た姿を作るのです。樹木や男たち、女たち、また、獣たちや鳥たち、それに、水中に棲む魚たちを造り、」
です。
 文の意味は、なんだか分かりませんけれど…

エンペドクレス:path finder

エンペドクレス:ΠΡΟΣΩΚΡΑΤΙΚΟΙ ΦΙΛΟΣΟΦΟΙ

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2007年01月10日

νήπιος, ος τά έτοιμα λιπών ανέτοιμα διώκει.

 「二兎を追うものは一兎をも得ず」ということわざが、私の頭の中にあります。それに似たものがないかと、柳沼重剛編『ギリシア・ローマ名言集』(岩波文庫) を繰ってみました。少しだけ似たものがありました。
「確かなことを打ち捨てて不確かなことを追い求めるのは、愚か者のやることだ。」です。
 「二兎」の場合は、同時間なのですが、「確かなこと、不確かなこと」は、時間が違っているのでしょうか。現在確かにあるものと、未来にあるかもしれない、というような。
 『名言集』では、プルタコラスの例文が紹介されています。皇帝ネロの暗殺を企てていた者が、宮殿の前で引き立てられる囚人に、「今日だけ生き延びろ、明日になれば…」と言ったため、その囚人から企てが露見してしまい暗殺が失敗した、という文章です。
 私は、イソップ寓話にある話を思い出しました。ライオンが道端に寝ていた兎を見つけ、それを食べようとしときに、遠くに鹿がいるのを見つけ、兎を置いて鹿を追ったのですけど、鹿は捕まえられずに、戻ってみると兎も起きて逃げていた、と言う話です。

 さて、『名言集』には、
νήπιος, ος τά έτοιμα λιπών ανέτοιμα διώκει.」とあります。
古典語なので、現代ギリシャ語の単語を並べてみます。
νήπιο は、中性名詞。幼児です。同じような意味の「μωρό 」は「赤ん坊」と言う語です。「μωρία」は女性名詞で、「愚かなこと」です。
νήπιο には、同じような派生した語はないようです。
ετοιμασία は、女性名詞で、「用意」という意味です。
διώχνω は、動詞で、「追う」です。

 古典語の文の文法は分からないのですが、見た所の様子から、意味の構成を推測してみます。
「愚かな者(赤ん坊のような)。それは、用意が出来ているものでなく、まだ用意されてないものを追っかける。」

 この、構成に即して、現代ギリシャ語で作文してみましょう。
Τα είναι μωρία να διώχνεις όχι το έτοιμο πράγμα αλλά το πράγμα που δεν ετοιμάζει.
 なんだか、とても、回りくどくなってしまいました。それに、ちょっと怪しいです。ちゃんとしたギリシャ語になっているでしょうか。

 けれども、文を作っていて思い浮かんだ考えがあります。老人が、まだ用意の出来てないことを追うのは、確かに愚かなことです。けれども、赤ん坊が、これから成就するだろうことを追うのは、喜ばしいことではないでしょうか。まるで、「青年よ大志を抱け」のようでもあります。
 年頭ですから、若い人たちへ、まだ出来上がってないことを追いかけましょう、という檄だと考えましょうか。




 ギリシャ語の部分は、語尾シグマ、アクセント母音(トノス)は、文字コードで入力しています。古典語の気息記号などは付けませんでした。
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2006年12月09日

Ενα χελιδονι δεν φτιαχνει την ανοιξη.

 μια χελιδων εαρ ου ποιει.
「一羽の燕は春を作らず」と言うことわざ。柳沼重剛『名言集』(岩波文庫)では、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』に引用があると紹介されています。
 その部分は、
「Ετι δ' εν βιω τελειω. μια γαρ χελιδων εαρ ου ποιει, ουδε μια ημερα・ ουτω δε ουδε μακαριον και ευδαιμονα μια ημερα ουδ' ολιγος χρονος.」
英訳
「 But we must add 'in a complete life.' For one swallow does not make a summer, nor does one day; and so too one day, or a short time, does not make a man blessed and happy. 」

このwebページを参照:
mikros apoploys

 「三日天下」(King for a day) と同じような内容を、反対の言い方をして表したものか知ら。
軽々に安心してはいけない、ということのようです。
 まだ春には早いのに来てしまう燕がいる、と、自然を捉えている目は、冷徹にも感じますけれど。


 古典語でも何となく分かるのですが、やはり、単語も違うので、現代語に置き換えてみます。

 
 「ツバメ」 χελιδονι は、中性名詞ですが、現代語の語尾は違うので。
 それで、数詞も、女性形の μια ではなく中性形のの ενα に。(古典語と現代語は性が違うのかな)
 「春」は、εαρ は、カサレヴサなので、ανοιξη に。εαρ は中性、ανοιξη は女性名詞。
 ποιω も現代語ではないので、φτιαχνω で、作文してみます。

 Ενα χελιδονι δεν φτιαχνει την ανοιξη.


ギリシャ語部分、語尾シグマは文字コードで入力、アクセント記号は使用しませんでした。
古典語は、アクセント記号の他に気息記号など、記号が多いので。


『ギリシャ・ローマ名言集』(岩波文庫) 柳沼重剛
on Amazon

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2006年09月07日

Γεναρηs ξεροs, γεωργοs πλουσιοs

 六月に、「Μαηs αβροχοs, χρονια ευτυχισμενη.」という諺らしきものをweb に見つけたのですが、わかりませんでした。気になっていたところ、雑誌『言語』の2004年7月号に、浮田三郎先生が、ギリシャのことわざについて書かれているのを読みました。
 その中に、似たことわざがありました。
「Γεναρηs ξεροs, γεωργοs πλουσιοs」 (一月が乾燥すると、農民は富む)
天候が順調だと、収穫が上がる、ということだそうです。
 一月は、Ιανουαριοs だけを覚えていたのですけど、Γεναρηs と言うのもあるのですね。
( Γεναρηs は、in.gr ではありませんでした。LEXICON にはありました。
月の名前も、古名のようなものがあるのでしょうか、
そうでなくて、正月のような語だったか知ら )

 ほかに、季節に関することわざに、
「三月の太陽は牛の角に穴をあける」(ギリシャ語なし)
「六月の雨は、大騒ぎさせる」(Του Ιουνιου το νερο ξαλαει τον κοσμο.)
夏は、普通、雨が降りませんから。
ところで、ξαλαει という単語がわかりません。説明では、「直訳すると、世界を破壊する」とありますから、破壊するなのでしょうけど。εξοντωνω (滅ぼす)と言う語は辞書にあるのですが。
posted by kyotakaba at 16:53| Comment(3) | 名言集から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする